中国に伝わる洪水伝説 伏犠と女媧

中国神話

中国神話」と聞いて多くの人がまず思い浮かべるのは、孫悟空が活躍する『西遊記』かもしれません。ですがあれは明代に書かれた小説で、もっと古い伝説を下敷きにした物語です。今回扱う伏羲(ふっき)と女媧(じょか)は、その孫悟空よりもずっと前、中国神話の根幹にいる兄妹です。

世界が一度、水に沈んだ話。多くの人がまず思い浮かべるのは、ノアの箱舟でしょう。けれど実は、似たような「大洪水で人類がほぼ滅び、ごく少数だけが生き残る」という物語は、世界中の神話にほぼ共通して現れます。中国にもそのバリエーションがちゃんと存在し、主人公がこの伏羲と女媧です。

あらすじ

大地がまだ若く、川という川がまだ名前を持たなかった頃。

天は怒り、大地は裂け、あらゆるところから水が溢れ出した。雨は幾日も幾日も降り続け、山という山が沈み、村という村が呑まれていった。人々は逃げ場を失い、泣き叫ぶ声さえもやがて水の底に消えていった。

その水の中で、たった二人だけが生き残った。伏羲(ふっき)と女媧(じょか)、幼い頃から共に育った兄と妹だった。二人は流されながらも互いの手を離さず、ようやく水の引いた高台にたどり着いたとき、あたりに広がっていたのは、見渡す限りの静寂だった。

鳥の声もない。獣の足音もない。人の気配は、どこにもなかった。

「兄さん」と女媧は言った。「わたしたち以外に、誰もいないの?」

伏羲は答えなかった。ただ、荒れ果てた大地を見渡し、何日も何日も黙って歩き続けた。二人はやがて、崑崙山のふもとにたどり着いた。そこでようやく、伏羲は口を開いた。

「このままでは、人はいなくなる。誰かが、続けなければならない」

女媧はその言葉の意味をすぐに理解した。けれど、二人は兄妹だった。手を取り合って生き延びてきた、血を分けた者同士だった。そんな二人が夫婦になるなど、あってはならないことのように思えた。

女媧は顔を伏せ、伏羲もまた目をそらした。二人はしばらくの間、言葉を交わすこともできなかった。

それでも、あたりに広がる沈黙が、二人に問い続けていた。人がいなくなった世界を、このままにしておいていいのか、と。

ある夜、女媧は天を仰いだ。もし天が二人を許すのなら、しるしを見せてほしい ― そう祈った。二筋の煙が空に立ち上り、やがて一つに絡み合いながら昇っていったという。伏羲もまたそれを見た。二人はその夜、ようやく互いの手を取った。

それから、女媧は土をこね、小さな人の形を作っては、命を吹き込んでいった。一人、また一人。来る日も来る日も、女媧は土に向き合い続けた。あまりに数が多くなると、縄を泥の中に浸し、それを振るって飛び散った泥の粒からも、新しい命が生まれたという。伏羲もまた、人々に漁の仕方を、火の使い方を、そして婚姻という約束事を教えていった。

こうして、荒れ果てた大地に、再び人の声が満ちていった。

伏羲と女媧は、その姿を人の顔と蛇の体を持つものとして今に伝えられている。二つの蛇の体は、まるで寄り添うように絡み合っていたという。一人は矩(さしがね)を、もう一人は規(コンパス)を手にしていた ― 天を丸く、地を四角く形づくるための、二つの道具だった。

世界を失い、二人きりになった兄と妹が、もう一度、世界を作り直した。

その物語は、今も語り継がれている。

伏羲と女媧はどんな神なのか

二人は中国神話における最初期の帝王「三皇」に数えられています。三皇の顔ぶれは文献によって少しずつ違うのですが、代表的な組み合わせのひとつが伏羲・女媧・神農(しんのう)。神農は牛の頭を持つ農業と医薬の神で、あらゆる草を自ら舐めて薬効を確かめ、人々に農耕を教えたとされる存在です。伏羲・女媧と並んで「文明の基礎を作った三人」として語られています。

その中でも伏羲は、川から現れた龍馬の背中にあった模様(河図)をもとに八卦を考案し、人々に漁や牧畜、そして婚姻の制度まで教えたという「文化英雄」です。もともとはそれぞれ独立した神として語られていましたが、のちに夫婦(あるいは兄妹)として結びつけられ、人類の祖という役割を与えられていきました。

洪水を生き延びたのは、兄と妹だけだった

古い伝承によれば、あるとき大洪水が起こり、人類はほとんど死に絶えてしまいます。生き残ったのは伏羲と女媧の兄妹二人だけ。二人は人類を再び増やさなければならなくなりますが、兄妹での結婚には強いためらいがあった、と物語は伝えています。それでも二人は結ばれ、そこから人類が再生していく ― という筋書きです。中国南西部の苗族や瑶族には、洪水の際に瓢箪の中に隠れて助かった兄妹の話として伝わるバージョンもあり、地域によって細部が変わりながら語り継がれてきたことがうかがえます。

体を絡ませた二神 ― 漢代の壁画が語るもの

この二人は「人の顔に蛇の下半身」という姿で、体を互いに絡ませ合う図像として漢代の壁画に数多く残っています。伏羲と女媧が別々の姿で描かれる例は前漢の中頃にはすでにありましたが、二人が体を絡み合わせた図像が定着するのは前漢末から後漢にかけてです。

この「二匹の蛇が絡み合う」構図、実は日本の注連縄(しめ縄)を連想する人も多い意匠です。

この二匹の蛇が絡み合う構図、実は日本の注連縄(しめ縄)を連想させる意匠でもあります。民俗学者の吉野裕子は、古代日本では蛇信仰が盛んで、縄文土器にも活力あふれる蛇の造形が数多く見られると指摘し、蛇に対する強烈な畏敬と激しい嫌悪という相反する感情の緊張が、注連縄・鏡餅・案山子といった数多くの蛇の象徴物を生んだという説を唱えています。つまり注連縄のあのねじれた形自体が、蛇を象った祭祀具の一つだという学説です。

もちろん伏羲女媧の「二匹の蛇が絡み合う」図像と日本の注連縄に直接の系譜があるわけではありません。ですが、蛇という生き物に畏怖と神聖さを同時に見出し、そこから「対になった蛇」というモチーフを生み出す発想は、中国と日本という別々の文化圏でも独立に育っていたのかもしれません。

しめ縄の由来自体は天照大神の岩戸神話にも結びつけられています。

あの独特なねじれた形が蛇の交わる姿に似ていること、そして縄文期の日本にも蛇そのものを神格化する信仰があったことから、民俗学ではしばしば「対になった蛇=陰陽の結合」という共通イメージが指摘されます。

蛇という生き物に「二つの力が結びついて何かを生み出す」象徴性を見出す発想は、洋の東西を問わず人類に根強くあるのかもしれません。

天は円く、地は四角い

もうひとつが、伏羲が矩(さしがね)を、女媧が規(コンパス)を手にしている図像です。これは『淮南子』にある「天道は円、地道は方」という宇宙観 ― 天円地方 ― を象徴していると考えられています。定規とコンパスの組み合わせというと、西洋のフリーメイソンのシンボルを思い浮かべる方もいるかもしれません。あちらは幾何学や道徳的な「正しさ」の象徴として全く別の文脈で使われているものですが、「定規とコンパスを持つ神(あるいは人)が世界の秩序を体現する」というモチーフ自体は、古今東西で人が惹かれやすい図像なのかもしれません。

人類の始祖であると同時に、世界の秩序そのものを体現する存在として、伏羲と女媧は描かれていたのです。

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出典・参考文献

  • 『楚辞』天問 ― 女媧に関する最古級の言及のひとつ
  • 『山海経』大荒西経 ― 女媧の記述
  • 『淮南子』 ― 女媧の補天神話、および「天円地方」の宇宙観の典拠
  • 漢代画像石(壁画)資料 ― 伏羲女媧の人首蛇身・交尾図の図像資料
  • 吉野裕子の蛇信仰研究(注連縄・鏡餅・案山子を蛇の象徴物とする説)

考察記事(女媧・盤古の関係+世界年表)

  • 中国神話における「盤古開天地→女媧造人→伏羲女媧再創世」という層構造を論じた台湾の研究論文
  • 各地の一次資料:ピラミッド・テキスト、『エヌマ・エリシュ』、『リグ・ヴェーダ』、ヘシオドス『神統記』、『創世記』、『古事記』、『エッダ』、『レジェンダ・デ・ロス・ソレス』、ヨルバの口承創世伝承(植民地期記録)

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