天使の顔が、翼に隠れている
翼が六枚ある。そのうち二枚は、顔を覆っている。
旧約聖書の『イザヤ書』には、そんな存在が登場する。一方、『エゼキエル書』で目を引くのは、四つの顔を持つ生き物と、そのそばにある、目に満ちた車輪だ。
天使と聞いて思い浮かべる、白い翼を広げた人の姿。そこからずいぶん遠いと感じるかもしれない。
ただし、「聖書の天使は本当はみんなこの姿」という答えにもならない。聖書の中には、人として迎えられる天使もいれば、神の玉座を取り巻く幻の中の存在もいる。この記事では、それぞれの姿が現れる場面から、エノク書の堕天使、そして九階級の意味までをたどる。「大天使はなぜ八番目なのか」という疑問も、文献を分けて読むと見え方が変わってくる。
まず知っておきたい、エノク書と九階級のこと
この記事では、聖書のさまざまな場面に加えて、『第一エノク書』と『天上位階論』という二つの文献を読む。初めて聞く名前でも、まずはそれぞれが何を語る書物なのかを押さえておけば、話を追いやすい。
『エノク書』は、古代ユダヤの人々の間で伝えられた、天使や天上の世界についての文献だ。エノクは『創世記』に登場する人物で、ノアのひいおじいさんにあたる。そのエノクが見聞きしたという形で、天上の秘密や、地上へ降りた天使たちの物語が語られる。エノクの名を冠した文献は複数あるが、ここで扱うのは『第一エノク書』である。[資料11・15]
第一エノク書は、ヘブライ語聖書の正典、つまり聖書を構成する正式な書物には含まれない。一方、エチオピア正教会では聖書の一部として受け継がれている。どの伝統で読むかによって、位置づけが異なる文献だ。[資料11・12]
もう一つの「九階級」は、天使を九つの位に分け、神との関わりや、知らせを伝える働きを整理した体系を指す。九人の天使という意味ではない。この記事で紹介するのは、後の時代に書かれた『天上位階論』の体系であり、エノク書に九階級の表が載っているわけではない。[資料16]
この区別を置いたうえで、まずは聖書に描かれる天使や天上の存在の姿から見ていこう。
人として迎えられる天使もいる
『創世記』19章の冒頭。夕暮れのソドムに、二人の天使がやってくる。ロトは彼らを家へ招き、食事を出す。町の人々は、この訪問者たちを「男たち」として扱っている。
ここでは、六枚の翼や、いくつもの顔を説明する文章はない。人と会い、家に入り、食事をする訪問者として、天使が物語の中を歩いている。
新約聖書の『ヘブライ人への手紙』13章2節にも、客をもてなすことを勧め、そのようにして知らずに天使を迎えた人々がいた、という趣旨の一節がある。
これだけで、あらゆる天使の外見を決めることはできない。けれど、「見れば必ず人間と違うと分かる」というイメージだけでは、取りこぼす場面がある。[資料1・2]
セラフィム――六枚の翼は、何をしているのか

『イザヤ書』6章では、情景が変わる。
イザヤは、高く掲げられた玉座に座す主を見る。その衣の裾が神殿を満たし、そばにはセラフィムがいる。それぞれが六枚の翼を持つ。
六枚とも、飛ぶために広げられているわけではない。二枚で顔を覆い、二枚で足を覆い、二枚で飛んでいる。
彼らが主の聖性をたたえ合うと、声によって敷居が震え、神殿は煙に満たされる。イザヤは、自分が汚れた唇を持つ者でありながら主を見たことにおののく。
そこで、セラフィムの一人が祭壇から燃える炭を取ってきて、彼の口に触れる。罪が取り除かれたことが告げられ、その後、イザヤは自ら使者になることを申し出る。
顔を隠す翼、神殿を震わせる声、唇に触れる炭。この存在は、姿の紹介だけで場面から消えるのではない。神の前でおののいた人間が、言葉を託されるまでの出来事に関わっている。[資料3]
翼で顔を覆うしぐさを、神の前での畏れや慎みの表現として読むことはできる。ただし、これは場面に基づく解釈だ。「神の光が強すぎるから顔を隠す」といった具体的な理由まで、本文が説明しているわけではない。
絵にするときも、この違いは大きい。六枚の翼を扇のように広げるだけでは、翼が何をしていたのかが失われてしまう。
四つの顔を持つ生き物――エゼキエルが見たもの
『エゼキエル書』1章の舞台は、捕囚の人々がいるケバル川のほとりだ。故郷の神殿ではない場所で、天が開かれ、エゼキエルは神の幻を見る。
北から風と大きな雲が来る。火と輝きの中に、四体の生き物の姿が現れる。
それぞれに、四つの顔と四枚の翼がある。顔は、人、獅子、牛、鷲。翼の下には人の手があり、足の裏は子牛の足の裏のようで、磨かれた金属を思わせる輝きを持っている。
ここで混乱しやすいのは、四体と四つの顔の関係だ。人の顔の一体、獅子の顔の一体、という分担ではない。1章では、それぞれの生き物が四つの顔を持つ。
翼は互いに接し、生き物たちは進む際に向きを変えないと描かれる。見慣れた動物を描くときのように、前へ歩く姿を想像しようとすると、簡単には形が定まらない。[資料4]
この生き物を「ケルビム」と結びつける手掛かりは、同じ書の10章にある。エゼキエル自身が、ケバル川で見た生き物をケルビムだと悟った、と記すのだ。
ただし、顔の説明には違いがある。1章の人・獅子・牛・鷲に対し、10章14節では、ケルブ・人・獅子・鷲の顔が挙がる。一方で10章22節は、川辺で見たのと同じ顔だったとも述べている。
本文が結びつけていることと、表現の差があること。この両方を残して読む必要がある。牛の顔を黙って消したり、逆に10章の「ケルブの顔」を無条件に牛へ置き換えたりすると、読者には違いが見えなくなる。[資料5]
目に満ちた車輪――生き物のそばで動くもの
『エゼキエル書』1章には、生き物のそばに車輪が現れる。車輪の中に車輪があるような構造で、その高い輪には、周囲いっぱいに目がある。
生き物が進めば車輪も進み、生き物が地上から上がれば車輪も上がる。本文は、生き物の霊が車輪の中にあると説明する。[資料4、1:15–21]
車輪だけを切り抜くと、目を持つ奇妙な物体に見える。ところが視線を上へ動かすと、この幻の全体が見えてくる。
生き物の頭上には、水晶を思わせる広がりがある。そのさらに上に、サファイアのような玉座がある。玉座の上には人の姿に似たものがあり、火と光、その周囲には虹を思わせる輝きがある。エゼキエルはこれを、主の栄光の姿に似たものとして語り、ひれ伏す。[資料4、1:22–28]
つまり車輪は、玉座へと続く一つの大きな幻の中に置かれている。車輪と生き物を、互いに関係のない二種類の天使として並べるだけでは、その配置と動きが伝わらない。
また、この章には「この車輪が座天使という階級である」という説明はない。天使の階級表に結びつける場合は、聖書のこの場面と、別の文献による整理を区別する必要がある。九階級については、後半でその出典に戻って見ていこう。
六枚の翼と目が、一緒に現れる場面
新約聖書の『ヨハネの黙示録』4章にも、玉座を囲む四体の生き物が登場する。
一体は獅子のようで、一体は子牛のよう。一体は人のような顔を持ち、一体は飛ぶ鷲のようだ。それぞれに六枚の翼があり、目に満ち、昼も夜も神をたたえる。[資料6]
ここには、『イザヤ書』の六枚の翼や賛美、『エゼキエル書』の生き物や目を思わせる要素がある。並べて読むと、似ているところと違うところが見えてくる。
『エゼキエル書』1章は、一体ごとに四つの顔と四枚の翼。『黙示録』4章は、四体それぞれの特徴を描き、一体ごとに六枚の翼を記す。同じ図を流用して名前だけを変えると、文章の違いが消えてしまう。
| 書名・章句 | 登場する存在 | 確認できる特徴 |
|---|---|---|
| 創世記19:1–5 | 二人の天使 | 家に迎えられ、食事をする。町の人々には男たちと呼ばれる |
| イザヤ書6:1–8 | セラフィム | 六枚の翼。顔・足を覆い、飛ぶ |
| エゼキエル書1:5–14 | 四体の生き物 | 各々四つの顔、四枚の翼。人・獅子・牛・鷲 |
| エゼキエル書1:15–21 | 車輪 | 輪の周囲に目。生き物と連動する |
| エゼキエル書10:12–22 | ケルビムと車輪 | 生き物とケルビムの同定。顔の表現には1章との差がある |
| 黙示録4:6–8 | 四体の生き物 | 各々六枚の翼と多数の目。四体の特徴が個別に描かれる |
エノク書――地上へ降りた二百の天使
ここからは、冒頭で紹介した『第一エノク書』を開く。神の玉座を取り巻く光景から、地上へ降りることを選んだ天使たちの物語へと、舞台が移る。
6章では、人間の娘たちを妻に迎えようとする天使たちが登場する。指導者のシェムハザは、仲間が計画から離れ、自分一人が罪を負うことになるのを恐れる。そこで彼らは、計画を捨てないよう、ともに誓いを立てる。二百の天使が降りる場所は、ヘルモン山だ。[資料7]
この、見張りの天使たちの物語では、外見よりも、彼らの決断が出来事を動かす。天に属する存在が人間の女性と結ばれ、その間に巨人が生まれる。巨人は人々の蓄えを食べ尽くし、養いきれなくなった人間にも襲いかかる。[資料8]
同時に、天使たちは人々に知識や技術を教える。8章ではアザゼルが、剣や刃物、盾、胸当て、金属加工を教えたと記される。腕輪や装飾、目元を美しく見せる化粧もそこに並ぶ。物語は、人々の間に不正が広がったことを語る。[資料9]
人を飾る技術と、人を傷つける技術。その両方が、天使の教えとして描かれている。知識が増えることと、世界がよくなることは、必ずしも同じではない。そのような不安を読み取ることもできる。これは本文からの考察であり、金属加工や化粧の実際の起源を説明するものではない。
10章では裁きが命じられる。ラファエルには、アザゼルを縛って暗闇へ投げ入れるようにとの命令が下る。同じ章では、ノアに洪水が迫ることを知らせ、逃れる方法を伝えるようにも命じられる。[資料10]
『創世記』6:1–4にも、神の子ら、人間の娘たち、ネフィリムと呼ばれる存在が登場する。ただし、二百の天使の誓いや、アザゼルによる武器の伝授まで記されているわけではない。エノク書の物語を紹介するときは、創世記に同じ説明がすべて書かれているように扱わないことが大切だ。[資料13]
死海文書に残る、エノク書の断片
死海文書は、一冊の書物ではなく、多数の文書・写本の集まりだ。その中には、エノク書のアラム語写本も含まれる。
イスラエル考古学庁の公開資料では、「4Q Enochᵃ」という断片が紹介され、紀元前150〜50年という年代が示されている。これは写本の年代であり、第一エノク書全体の成立年を一つに決める数字ではない。[資料11]
この断片の存在が確かめさせてくれるのは、天使や巨人が実在したことではない。その物語が古代に書き写されていた、ということだ。
一方ではエチオピアの教会で受け継がれ、もう一方では古代の写本の断片が残る。そうした伝承と資料の両方から、この書物を読むことができる。
天使の九階級は、どこから来たのか
六枚の翼を持つセラフィム、エゼキエルが見たケルビム。そして、エノク書に登場したラファエル。こうして名前が増えると、誰がどこにいるのか、一枚の表にまとめたくなる。
そのときによく目にするのが、天使の九階級だ。ここでたどる『天上位階論』は、およそ5世紀末から6世紀初めごろの著作と考えられている。著者は現在、偽ディオニュシオスと呼ばれる。古い時代のディオニュシオスという人物の名で書かれているものの、その本人の著作とは考えられておらず、本当の著者名は分かっていない。[資料17]
著者は聖書のさまざまな場所に現れる呼び名を結びつけ、天上の秩序として説明した。聖書の一ページに、最初から完成した九段の表が載っていたわけではない。次の表は、その体系の並びを示している。[資料16]
| まとまり | 上からの位 | 名称 |
|---|---|---|
| 上位 | 1 | 熾天使(セラフィム) |
| 上位 | 2 | 智天使(ケルビム) |
| 上位 | 3 | 座天使(スローンズ) |
| 中位 | 4 | 主天使 |
| 中位 | 5 | 力天使 |
| 中位 | 6 | 能天使 |
| 下位 | 7 | 権天使 |
| 下位 | 8 | 大天使 |
| 下位 | 9 | 天使 |
三つの位で一つのまとまりをつくり、それが三段に重なる。すべての宗教や文献に共通する順位ではなく、ここでは偽ディオニュシオスの体系として読んでいこう。
神に近い三つの位――熾天使・智天使・座天使
熾天使はセラフィム。『イザヤ書』では六枚の翼が印象に残ったが、『天上位階論』は、その名に燃え立つような働きを読み取る。神へ向かう熱を失わず、ほかの存在もその熱へ導くものとして説明する。
智天使はケルビム。こちらは神の知恵を受け取り、それを豊かに伝える存在として解釈される。座天使の名は玉座を意味し、揺るがず神へ向かい、神を受け入れるあり方が読み取られる。これは著者による神学的な説明であり、それぞれの体の形を決める図鑑ではない。[資料16、7章]
先ほど見た「目に満ちた車輪」も、この区別が必要になる。『エゼキエル書』の車輪の描写と、後代の階級としての座天使を、そのまま同じ説明として重ねることはできない。
力を受け取り、伝える三つの位――主天使・力天使・能天使
主天使には、卑しいものに縛られず、神の支配へ向かうあり方が読み取られる。力天使は、神へ向かう働きが弱まらず、揺らがないこと。能天使は、与えられた権能を秩序に従って働かせることを表す。
三つの名前は似ているが、説明の中心にあるのは力の持ち方と使い方だ。このまとまりは上位から神の光を受け取り、さらに下の位へ伝える。[資料16、8章]
人間へ知らせを届ける三つの位――権天使・大天使・天使
権天使は、神の秩序へ向かい、ほかを導くあり方を表す。大天使は、このまとまりの中間に位置し、上から受け取ったものを天使へ告げる。そして最後の天使が、人間の世界により直接関わって知らせを届ける。[資料16、9章]
ここで「天使」は、全体を指す言葉と、最後の一段を指す名前の両方に使われている。『天上位階論』では、上の位の存在も、神に関わることを知らせる働きを持つため、広い意味で天使と呼べると説明される。[資料16、5章]
大天使はなぜ八番目? ミカエルの強さとは別の話
「大天使」という名前は、とても高い位のように聞こえる。それなのに九階級では上から八番目、下から二番目に置かれている。
その位置は、上から届くものを受け取り、人間の側へ伝える働きに対応している。九階級は、神との近さや、光と知恵が伝わる秩序を説明する体系なのだ。八番目だから、戦えば八番目に強いという意味にはならない。
たとえばミカエルは、『ユダの手紙』9節で大天使と呼ばれる。『ヨハネの黙示録』12章では、自分の天使たちとともに竜と戦う。天使を率いる姿を知っていれば、八番目という位置が意外に感じられるだろう。[資料18・19]
しかし、聖書が語る一人の天使の行動と、後代の書物が整理した位の意味は、分けて読む必要がある。それらを結びつけただけでは、「ミカエルはセラフィムより戦う力が弱い」という結論は出せない。本文に、その比較は書かれていないからだ。
エノク書の七人――階級ではなく、名前を持つ天使たち
ここで『第一エノク書』へ戻ろう。この書物には、地上へ降りて裁かれる天使たちだけでなく、天上で役目を持つ聖なる天使たちも登場する。20章には、次の七人の名前が並ぶ。
ウリエル、ラファエル、ラグエル、ミカエル、サラカエル、ガブリエル、レミエル。
七つの位ではなく、それぞれ固有の名前を持った七人である。章には各人が何に関わるのかも記される。今回参照するR. H. Charlesの英訳から、四人の役目を取り出すと次のようになる。[資料20]
| 天使の名前 | 20章に記される役目の要約 |
|---|---|
| ウリエル | 世界とタルタロス(深い刑罰の場所)に関わる |
| ラファエル | 人間の霊に関わる |
| ガブリエル | 楽園・蛇たち・ケルビムに関わる |
| レミエル | よみがえる者たちに関わる |
名前の表記や役目の訳し方には、写本や翻訳による違いがある。この章の名簿を、あらゆる伝統に共通する唯一の「七大天使」として扱うことはできない。
また、ガブリエルがケルビムに関わると書かれているからといって、それだけで九階級の智天使より上だと順位を決めることもできない。20章が示しているのは、この文献における天使と役目の結びつきだ。九階級の配置を説明する章ではない。
四人の場面には、ファヌエルがいる
同じ『第一エノク書』でも、40章では別の光景が描かれる。エノクは、霊の主の前に広がる数え切れない存在と、その四方にいる四つの存在を見て、声を聞く。案内する天使が教える名前は、ミカエル、ラファエル、ガブリエル、ファヌエルだ。[資料21]
ミカエルは慈悲深く忍耐強い者、ラファエルは人間の病や傷に関わる者、ガブリエルはあらゆる力に関わる者として紹介される。ファヌエルには、永遠の命を受け継ぐ人々の、希望へ向かう悔い改めに関わる役目が与えられている。
20章の七人に、ファヌエルという名前はなかった。役目の説明も同じではない。だから「七人から三人が減って四人になった」と考える必要はない。同じ書物の中でも、場面ごとに異なるまとまりが登場するのだ。
この場面の四つの声は、賛美し、人々のために願い、訴えようとする者を退ける。天使たちの働きは、地上で生きる人の傷や、祈りや、悔い改めへとつながっている。[資料21]
| 数字 | 何を数えているか | 出典 |
|---|---|---|
| 九 | 天上の存在を分けた位の数 | 『天上位階論』 |
| 七 | 名前と役目が列挙される天使の数 | 『第一エノク書』20章 |
| 四 | 霊の主の周囲で声を聞かせる存在の数 | 『第一エノク書』40章 |
考察――天使は何を受け取り、何を伝えるのか
ここまでたどると、天使の姿と階級は、一つの問いにつながって見える。神と人間の間に立つ存在は、何を受け取り、何を伝えるのだろうか。
『イザヤ書』では、顔を覆って神をたたえるセラフィムが、預言者の唇に炭を触れさせる。おののいていた人間は、やがて言葉を託される者になる。『エゼキエル書』では、目に満ちた車輪を追う視線が、その上の玉座へ導かれる。姿の不思議さは、その場で起きている出来事と結びついている。
『天上位階論』では、受け取った光や知恵が、上の位から次の位へ伝わっていく。その連なりの先には人間がいる。こうして見ると、九階級の最後に置かれた天使にも、人間へ届けるという大切な役目がある。
一方、エノク書の見張りの天使たちは、人間に知識を伝えながら、地上の災いに関わってしまう。同じ書物の別の場面には、人の霊や病、楽園、悔い改めに関わる天使たちがいる。人間が受け取るものは、いつも同じ結果をもたらすわけではない。
これは、異なる文献を並べて読んだ本記事の考察だ。天使の外見や順位だけを比べるより、誰に向かい、何を伝え、その先で何が起きるのかを見ると、物語の広がりが感じられる。
六枚の翼は、何のためにあるのか。大天使は、なぜ八番目なのか。その疑問を追っていくと、人が自分を超える存在とどう向き合い、力や知識をどう受け取るのかという問いに行き着く。天使の不思議な姿と数々の名前は、その関係を考えるための入口でもあるのだと思う。
参考資料
本文は以下の英訳を照合した日本語の要約・再話。ヘブライ語・ギリシャ語原文の校訂比較ではない。考察は本文の描写に基づく本記事の読解。
- 創世記19章(KJV)
- ヘブライ人への手紙13章(KJV)
- イザヤ書6章(KJV)
- エゼキエル書1章(KJV)
- エゼキエル書10章(KJV)
- ヨハネの黙示録4章(KJV)
- 第一エノク書6章・二百の天使の誓い(R. H. Charles英訳、1917年)
- 第一エノク書7章・巨人(同訳)
- 第一エノク書8章・知識の伝授(同訳)
- 第一エノク書10章・裁きと洪水の告知(同訳)
- イスラエル考古学庁・Featured Scrolls「Enoch」
- エチオピア正教会・Canonical Books
- 創世記6章(KJV)
- 第一エノク書12章・見張りの天使(同訳)
- 創世記5章(KJV)―エノクからノアへの系譜
- 偽ディオニュシオス『天上位階論』―5〜9章(John Parker英訳)
- Internet Encyclopedia of Philosophy:Pseudo-Dionysius―著者と年代
- ユダの手紙1章(KJV)―9節の大天使ミカエル
- ヨハネの黙示録12章(KJV)―ミカエルと竜の戦い
- 第一エノク書20章―七人の聖なる天使(R. H. Charles英訳)
- 第一エノク書40章―四つの存在と声(同訳)

