ディアトロフ峠事件
1959年2月、ソ連ウラル山脈で、経験豊富な登山者9人が消息を絶った。
発見されたテントは、内側から切り裂かれていた。
多くの遺体は、靴も上着もない状態で見つかった。外は氷点下25度という極寒である。
当時のソ連当局は「抗いがたい自然の力」という曖昧な言葉で捜査を打ち切り、資料は長く機密扱いになった。
60年という長い時を経た、2021年、スイスの研究チームが物理シミュレーションの実験を行い、「自然現象として起こり得る現象である」という新説を発表した。これは世界的に報じられ一応の決着がついたようにも思える。
だが、それだけでは説明のつかない謎も、事件にはまだ残っている。
有名な事件だから、知っている人も多いだろう。
しかし、その後60年かけて積み重なってきた「さらなる謎」まで知っている人は、意外と少ない。
事件の概要(知らない人のために)
1959年1月、ウラル工科大学の学生・卒業生を中心とした男女9人が、スキーでの縦走登山に出発した。リーダーはイーゴリ・ディアトロフ。目的地はオトルテン山で、当時としては最難関クラスのルートだった。
グループは全員が登山経験者で、無謀な素人集団ではない。だからこそ、その全滅は当時から異例だと受け止められていた。
タイムライン(日記・報告書・現像された写真から再構成)
- 1月23日〜25日:スヴェルドロフスクを出発し、イヴデリへ
- 1月27日:トレッキング開始
- 1月28日:メンバーの一人、ユーリー・ユーディンが体調不良(リウマチの悪化)のため離脱。結果的にこの離脱が彼を生還させた
- 1月31日:オトルテン山麓に到達
- 2月1日:悪天候で進路を見失い、予定と異なるホラート・シャフイル山(マンシ語で「死の山」の意)の斜面へ迷い込む。遮蔽物のない斜面にテントを設営。これが日記に残る最後の記録
- 2月1日〜2日 夜:事件発生と推定される
- 2月20日:予定日を過ぎても連絡がないため、親族の要請で捜索開始
- 2月26日:内側から切り裂かれたテントを発見。その後、5人の遺体を発見
- 3月:先に発見された5人の検死終了。死因はいずれも低体温症
- 5月:残る4人の遺体を、テントから約150メートル離れた渓谷、雪の下4メートルの位置で発見。うち3人に致命的な外傷
- 5月:ソ連当局、捜査を終了。「抗いがたい自然の力」により死亡したと結論し、事件性なしとする。資料は機密文書扱いに
- 1990年代:資料の一部がようやく公開される(一部は依然として紛失)
- 2018〜2020年:ロシア検察が再捜査に着手。2020年、雪崩によるものとの見解を発表するが、遺族側は納得せず
- 2021年1月:スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH)とローザンヌ校(EPFL)の研究者が、学術誌上で「遅発性スラブ雪崩」説を発表
メンバー表
| 氏名(以下の呼び方) | 年齢 | 発見時期・場所 |
|---|---|---|
| イーゴリ・ディアトロフ(ディアトロフ、リーダー) | 23歳 | 1959年2月26日、テントへ戻る途中とみられる斜面 |
| ジナイダ・コルモゴロワ(ジナ) | 22歳 | 同上 |
| ルステム・スロボディン(スロボディン) | 23歳 | 同上。頭蓋骨に軽い亀裂 |
| ユーリー・クリヴォニシェンコ(クリヴォニシェンコ) | 23歳 | 同日、ヒマラヤスギの木の下。焚き火跡あり |
| ユーリー・ドロシェンコ(ドロシェンコ) | 21歳 | 同上 |
| アレクサンドル・コレヴァトフ(コレヴァトフ) | 24歳 | 1959年5月、渓谷・雪の下4メートル |
| リュドミラ・ドゥビニナ(リューダ) | 20歳 | 同上。肋骨に重傷 |
| ニコライ・チボ゠ブリニョーリ(チボ) | 23歳 | 同上。頭部に重傷 |
| セミョーン・ゾロタリョフ(ゾロタリョフ) | 38歳 | 同上。肋骨に重傷 |
※ユーリー・ユーディンは1月28日に離脱し、生存。
何が「不思議」だったのか
検死結果は、単純な遭難とは言い難いものだった。
先に見つかった5人は低体温症による死亡。一方、後から見つかった4人のうち3人には、致命的な外傷があった。
担当医は「交通事故の衝撃に匹敵する」力が加わったと述べている。
骨折はしていたが皮膚や筋肉といった軟部組織にはほとんど損傷がなかった。
衣服の状況も異様だった。氷点下25〜30度という環境にもかかわらず、遺体の多くは薄着で、なかには靴を履いていない者もいた。
これは「矛盾脱衣」と呼ばれる現象で説明することが可能である。
中等度から重度の低体温症の際に一定の割合で、熱いと錯覚する状態になることが知られている。つまりこの部分自体は、医学的には説明のつく現象ではある。しかしながら、死因の説明としては有力だが、根本原因とは言い難い。
テントが内側から破られていて全員がパニック状態だった可能性から、低周波音パニック説ではないか提唱する者もいた。
山の対照的な形状から、強風が山頂を吹き抜けると風下側に巨大なカルマン苛烈と呼ばれる渦が発生する。
その渦が人には聞こえない低周波音を発生させる。
低周波音はテント内の9人の内耳と脳を直接刺激し、理屈なしの強い恐怖を引き起こさせたのではないかという説である。
確かに、なぜ9人が一斉にパニック状態になったのかは説明できそうだが、実際に低周波音で集団パニックが起きるのかは実証はできてはいない。また、骨折などの物理的な重症の説明にはなっていない。
他にも、当時から今日まで、雪崩説、滑降風(カタバ風)説、軍事実験陰謀説、先住民マンシ族による襲撃説など、さまざまな説が浮かんでは消えてきた。
先住民説や動物襲撃説は、第三者の足跡や争った形跡がなく初期の捜査段階でほぼ否定されている。
原因についての諸説比較
| 説 | 主な根拠 | 現時点での評価 |
|---|---|---|
| 遅発性スラブ雪崩説 | 2021年のETH/EPFLによる物理シミュレーション、査読付き学術誌に掲載 | もっとも有力な科学的仮説。ただし放射線や刺青の謎は説明しない |
| 低体温症・矛盾脱衣 | 医学的に確認されている現象。薄着での発見と整合 | 死に至る経過の一部としては医学的に妥当 |
| 滑降風(カタバ風)説 | 現地の地形・気象条件 | 雪崩説の一部として組み込まれている |
| 低周波音パニック説 | 気象学者による、地形起因のカルマン渦仮説 | 一つの仮説にとどまり、直接的な物的証拠はない |
| 軍事実験・陰謀説 | 衣服からの放射線検出、閉鎖都市との地理的近さ | 放射線の出所には他の説明も可能で、断定はできない |
| マンシ族襲撃説 | 事件当初に検討された | 現場の足跡が9人分のみだったことから当局が否定済み |
最大の謎とされる人物:セミョーン・ゾロタリョフ
9人の中で、一人だけ毛色の違う人物がいた。ゾロタリョフである。
他のメンバーが20代前半の学生だったのに対し、ゾロタリョフは38歳。従軍経験のある元軍人で、複数の勲章を受けていた。
しかも、彼は当初このグループの一員ではなく、別のトレッキング隊から土壇場で合流している。日記には「最初は誰も彼の合流を歓迎していなかった」という趣旨の記述が残る。
身元に関する噂も尽きない。合流時に別名を名乗っていたとする記録があること、遺体に生前誰も見たことがなかった暗号のような刺青があったこと、彼の経歴が閉鎖都市(核関連施設のある非公開の都市)と接点を持つとされることから、「軍やKGBの命令で、密かにグループを監視していたのではないか」という説が根強く語られている。
さらに、出発前にゾロタリョフが教え子たちへ「この遠征のことを、世界中が語ることになるだろう」「もうすぐ全てがわかる」と意味深に告げていた、というエピソードもある。
これは2018年、ロシアの新聞「コムソモリスカヤ・プラウダ」の記者が行った調査報道で伝えられたもので、当時を知る関係者の証言をもとにした後年の報道である。公式な記録ではない点は、割り引いて捉える必要がある。
62年後に浮上した新たな謎:眠っているのは本当に彼なのか
話はここで終わらない。
2018年前後、コムソモリスカヤ・プラウダとロシア第一チャンネルの記者が、ゾロタリョフの姪と甥の協力を得て、彼の墓のDNA鑑定を行った。遺体の状態が悪く当時から身元確認が難航していたこと、刺青を親族が誰も知らなかったことなどが、鑑定に踏み切ったきっかけだとされる。
結果は「母系での血縁関係が確認できない」というものだった。つまり、その墓に埋葬されているのはゾロタリョフ本人ではない可能性がある、という話になる。
ここは注意が必要な点で、これは公的な司法鑑定ではなく、テレビ局と新聞による独自取材の結果である。とはいえ、身元不明の刺青と合わせて、「では誰が埋葬されているのか」という新しい謎を生んだのは事実だ。
オレンジの光の目撃証言
事件当夜、現場から南に約50キロ離れた場所でトレッキングをしていた別のグループが、北の夜空に「奇妙なオレンジ色の光の球」を目撃したと証言している。1959年2月から3月にかけて、周辺地域では他にも無関係の目撃報告が複数あった。
この光については、UFO説や軍用照明弾説も語られてきたが、もっとも有力視されているのは、当時ソ連が開発を進めていたR-7大陸間弾道ミサイルの発射光だったとする説である。これは後年、研究者エフゲニー・ブヤノフによって裏付けが試みられている。
2021年、科学が出した一つの答え
2021年1月、スイス連邦工科大学チューリッヒ校のアレクサンダー・プズリン氏とローザンヌ校のヨハン・ゴーム氏が、学術誌「Communications Earth & Environment」で新しい説を発表した。
要点はこうだ。現場は斜面の角度が緩く(約15〜28度)、教科書的には雪崩が起きにくい地形とされてきた。しかし研究チームは、テント設営のために雪面へ切り込みを入れたこと、そこにカタバ風が数時間かけて雪を吹き溜まらせたことが重なり、設営から7.5〜13.5時間後に「遅発性」の小規模なスラブ雪崩が発生した、という物理モデルを提示した。
このシミュレーションには、自動車の衝突安全試験で使われる胸部衝撃データも応用されており、雪塊の衝撃だけで検死結果と近い胸部の変形が起こりうることを示している。
余談だが、この種の雪の物理演算は、映画『アナと雪の女王』などで使われるCG技術と近い手法だと報じられている。
研究チーム自身も「証言できる生存者がいない以上、決して説明しきれない部分は残る」と述べており、これで全てが解決したとは言っていない。
まとめ
ディアトロフ峠事件は、科学的な解明が少しずつ進んでいる事件でもある。
2021年の雪崩研究は、長年「地形的にありえない」とされてきた雪崩説に、物理学的な裏付けを与えた点で大きな一歩だった。
それでも、ゾロタリョフという一人の男の経歴、そして彼が眠っているはずの墓に、本当は誰が眠っているのか――この謎だけは、今も謎のままだ。
出典・参考情報源
- ディアトロフ峠事件 – Wikipedia日本語版(捜査記録・検死所見・年表の整理)
- Puzrin, A. & Gaume, J. “Mechanisms of slab avalanche release and impact in the Dyatlov Pass incident in 1959.” Communications Earth & Environment, 2021年1月28日 — https://www.nature.com/articles/s43247-020-00081-8
- 「60年前のロシア雪山怪死事件、新検証で『自然現象説』有力」AFP BB News、2021年2月4日 — https://www.afpbb.com/articles/-/3329360
- 「ロシア検察、60年前の『ディアトロフ峠事件』を再調査」AFP BB News — https://www.afpbb.com/articles/-/3209372
- Semyon Zolotaryov — dyatlovpass.com(専門アーカイブサイト、経歴・年齢・合流経緯の整理) — https://dyatlovpass.com/semyon-zolotaryov
- Zolotaryov DNA test — dyatlovpass.com(コムソモリスカヤ・プラウダ紙の調査報道の英訳転載) — https://dyatlovpass.com/zolotaryov-dna
- Exhumation of Zolotaryov — dyatlovpass.com(「もうすぐ全てがわかる」発言の出典) — https://dyatlovpass.com/zolotaryov-exhumation
- 「ロシア史上最も不可解な事件『ディアトロフ峠事件』に衝撃の新説」Russia Beyond日本語版 — https://jp.rbth.com/history/81262-deiatorofu-touge-jiken-shinsetsu
※コムソモリスカヤ・プラウダ紙による調査報道(ゾロタリョフのDNA鑑定・生前の発言に関する部分)は、公的な司法鑑定や同時代の一次資料ではなく、2018年前後に行われた新聞・テレビの独自取材であることを明記しています。事実として断定せず、「そう報じられている」という距離感で扱っています。

