世界の創世神話(12・最終回) なぜ世界中に似た神話が生まれるのか 伝わった説と、独立して生まれた説

世界の創世神話シリーズ最終回のアイキャッチ、糸でつながる光の点と離れた光の点が並ぶ地球のイメージ 神話

前回はハウデノサウニー、今回でこのシリーズは最後になる

前回は北米の先住民ハウデノサウニーに伝わる、空から落ちてきた女が亀の背中に大地を広げる話だった。あの話を読んで、既視感を覚えた人もいたかもしれない。水の底から土を持ち帰る動物、亀という土台、そこから広がる大地。実はよく似た構図の神話は、他の地域にもある。

今回で創世神話シリーズは最終回。11の文明を巡ってきて、ずっと引っかかっていた疑問に、ようやく向き合う番が来た。なぜ、こんなに離れた場所の神話が、こんなに似ているのか。

最初の記事で置いてきた宿題

このシリーズの第1回で、こんな話をした。インドのプルシャ、中国の盤古。どちらも「巨大な原初の存在の体が分解されて、世界のパーツになる」という神話だ。目が太陽になり、血が川になり、骨が山になる。北欧のユミルも同じ型だと触れた。

インドと中国と北欧。地図で見れば、そこそこ離れている。それでも同じ発想の神話が転がっている。これが第1回で置いてきた宿題だった。

このシリーズを走り切った今なら、もっと材料がある。マヤは人間を三度作り直し、アステカは世界を四度滅ぼした。ヨルバは天から神が降りて大地を固め、ハウデノサウニーは水底から運ばれた泥で島を作った。マヤとヨルバの間に、直接の行き来があったとは考えにくい。それでも「水の底から材料を取ってきて世界を作る」という発想は、驚くほど各地で繰り返される。

この謎に対して、学者たちが出してきた答えは、大きく二つの立場に分かれる。大昔、どこかで生まれた一つの物語が、人の移動とともに世界中へ運ばれていったとする考え方と、接触なんてなくても、人間の頭の中身が似ているから、同じ発想に行き着くとする考え方だ。

まず全体の地図を描いておく

細部に入る前に、両方の立場の骨格だけ先に押さえておきたい。

伝わった説(伝播説・拡散説)は、神話を「一つの起源から枝分かれした系統樹」として見る立場だ。言語学が「祖語(すべての元になった一つの言語)」を再構築するように、神話にも祖形があり、それが人類の移動ルートに沿って世界へ広がった、と考える。

独立して生まれた説(独立発生説)は、神話を「同じ設計図を持つ脳が、それぞれ別々に作った作品」として見る立場だ。人間は世界中どこにいても、同じような問い(世界はどこから来たのか、なぜ人は死ぬのか)を抱える。だから接触がなくても、似た答えにたどり着く、と考える。

どちらも一発で全部を説明できる魔法の理論ではない。順番に見ていこう。

伝わった説――言語のように神話を遡る

伝播説そのものは、実は新しい発想ではない。19世紀の人類学には「文化圏(クルトゥアクライゼ)」という考え方があった。ドイツ・オーストリア学派の研究者たちが唱えたもので、似た文化要素が見つかれば、それは一つの発信地から伝わった証拠だ、とする立場だ。

この発想は、行き過ぎると危うい方向に転がる。20世紀初頭、イギリスの解剖学者グラフトン・エリオット・スミスは「世界のあらゆる高度な文明は、古代エジプトから伝わった」という説を唱えた。ピラミッドも、巨石建造も、太陽信仰も、全部エジプト起源だという主張だ。今ではこの「超拡散主義」は、根拠薄弱な説として学界からほぼ退けられている。似ているものを見つけては全部一つの起源に結びつける発想は、一歩間違うと何でも言えてしまう。

それでも21世紀に入って、伝播説はもう一度、精密な形で戻ってきた。ハーバード大学のサンスクリット学者ミヒャエル・ヴィツェルが2012年に出した『世界の神話の起源』という本だ。

ヴィツェルのやり方は、19世紀の「似てるから同じ起源」という大雑把な話とは違う。言語学者が音の変化の規則性から祖語を再構築するように、彼は世界の神話を「モティーフの束」として比較し、地層のように積み重なった系統を描き出そうとした。

彼が提案したのは三つの層だ。もっとも古い層は「パンガイア」、人類がまだアフリカにいた時代にまで遡る、すべての人類に共通する要素。次に古いのが「ゴンドワナ」型で、サハラ以南アフリカやアンダマン諸島、パプアニューギニア、オーストラリアなど、アフリカを出た後の人類の移動ルートから比較的外れた地域に残る、断片的なエピソードの寄せ集め。そしてもっとも新しいのが「ローラシア」型で、ユーラシア大陸とアメリカ大陸に広く分布する。こちらは「世界の始まり→神々の世代交代→英雄の活躍→大破局→終末」という、一本の筋が通った物語構造を持つのが特徴だという。ヴィツェルは、このローラシア型の物語が、およそ4万年から6万年前、人類がアフリカを出てユーラシアへ広がっていく過程で形作られ、運ばれていったと主張している。

このシリーズで見てきた神話の多くは、彼の言う「ローラシア型」の構造によく当てはまる。世界の始まりがあり、神々の世代が入れ替わり、英雄が試練を乗り越え、大きな破局(洪水や滅びの物語)が起きる。ギリシャのウラノス→クロノス→ゼウスという世代交代も、マヤの人間創造3度の失敗も、この型に沿っていると言えなくはない。

その「伝わった説」に、学界はどう反応したか

ただし、ここははっきりさせておきたい。ヴィツェルのこの理論は、比較神話学の中でも異論の多い仮説だ。

宗教学者フレデリック・M・スミス(アイオワ大学)は、学術誌『Religious Studies Review』への書評で、ヴィツェルの推論の積み重ね方に懸念を示している。理論の中心部分から離れるほど、確実な証拠ではなく「推測の上に推測を重ねる」領域に入っていく、という指摘だ。考古学的な遺跡の損傷、言語再構築そのものが持つ不確実性、宣教師の記録による口承伝承の変質など、データが積み重なる過程で紛れ込む誤差についても懸念を挙げている。さらに、ヴェーダの文献に人身供犠の記述があることをもって、実際にその儀式が行われていた証拠として扱っている点にも、テキストと実践を混同しているのではないか、という疑問を投げかけている。

他の書評でも、ヴィツェルの手法は「還元主義的」であり、膨大な神話データの中からパターンに合う部分を選び出す作業において、著者自身が唯一の判断者になってしまっている、という指摘がある。

要するに、伝わった説の最新版であるローラシア神話論は、「面白い切り口だが、まだ検証の途上にある仮説」というのが、現時点でのフェアな受け止め方だろう。19世紀の超拡散主義のような明確な誤りだと断定されているわけではないが、主流の学説として確立しているわけでもない。

独立して生まれた説――人間の心が同じ設計図でできている

もう一方の立場、独立発生説の土台を作ったのは、19世紀ドイツの民族学者アドルフ・バスティアンだ。彼は「人類の心的統一性」という考え方を唱えた。すべての人間は、生まれつき共通の「基本理念(エレメンタルゲダンケン)」を持っている。それが、それぞれの土地の気候や歴史という偶然の条件によって、多様な「民族理念(フェルカーゲダンケン)」として枝分かれしていく。同じ土台から、別々の場所で、似たものが独立して育つ、という発想だ。

この土台の上に、20世紀に入ってさらに二人の重要人物が理論を積み上げた。

一人目は心理学者カール・ユングだ。彼は「集合的無意識」という概念を提唱した。個人の経験に由来する「個人的無意識」とは別に、人類全体が生まれながらに共有している、もっと深い層の無意識がある、という考え方だ。この層には「元型」と呼ばれる、太古から繰り返されてきた普遍的なイメージが眠っている。大いなる母、英雄、トリックスター、そして原初の巨人。ユングの立場に立てば、世界中の神話に「巨人の体から世界ができる」話が繰り返し現れるのは、接触があったからではなく、そもそも人類の心の奥に、そういうイメージを生み出す共通の型が備わっているから、ということになる。

二人目は人類学者クロード・レヴィ=ストロースだ。彼は南北アメリカ大陸の神話800話以上を比較分析し、『神話論理』という大著にまとめた。彼の見立てでは、神話は言語と同じような構造を持っている。バラバラの要素(彼はこれを「神話素」と呼んだ)が、ある規則に従って組み合わさっているというのだ。その規則の核にあるのが「二項対立」だ。生と調理済み、昼と夜、生と死、暖かさと冷たさ。人間は生まれた瞬間から、こうした対立のペアで世界を認識するようにできている。この認知の枠組みが、無意識のうちに神話の論理を組み立てている。だから、南北アメリカという広大な範囲の神話に、驚くほど共通した構造が見つかる、というのが彼の主張だ。

つまり独立発生説の立場では、似た神話が世界中にあるのは不思議でも何でもない。人間はどこにいても、同じ形の脳と、同じような生活上の問いを抱えている。世界はどこから来たのか。なぜ夜と昼があるのか。なぜ人は死ぬのか。似た問いには、似た答えが出やすい。それだけの話だ、ということになる。

このシリーズの11話を、二つのレンズで見返す

ここまでの11の神話を、この二つの立場に当てはめて見返すと、面白いことに気づく。

「巨人の体から世界ができる」型――プルシャ、盤古、ユミル――は、地理的に見るとユーラシア大陸に集中している。人類の移動や交易のルートを考えれば、伝わった説が説明しやすそうに見える。

巨人の体から世界が作られる神話のイメージ、山のシルエットとアンバーの光の亀裂

一方で「水底から運ばれた泥で大地ができる」型――ヨルバのオバタラの天下りと大地形成、ハウデノサウニーのスカイウーマンとタートルアイランド――は、アフリカと北米という、直接の接触が考えにくい地域に、よく似た構図で現れる。こちらは独立発生説のほうが説明しやすそうだ。

水底から土を運ぶ神話のイメージ、亀の甲羅と潜る人影、アンバーの光

さらに、マヤとアステカのように「世界は何度も作られては壊される」という発想が、同じメソアメリカという狭い地域の中で繰り返されるケースもある。これは、もっと小さなスケールの、地域内での伝播だと考えるのが自然だろう。全世界レベルの大伝播ではなく、隣接する文明同士がお互いの神話を参照し合った結果、というわけだ。

つまり「似ている」と一口に言っても、そのスケールはさまざまだ。全人類共通のパターンなのか、大陸をまたぐ伝播なのか、隣接地域どうしの影響なのか。ヴィツェルの理論も、レヴィ=ストロースの理論も、実はどちらも「一つの物差しで全部を測ろうとしている」という点では共通の弱点を抱えている。

学界の今の空気――どちらか一つ、ではなく

現代の人類学では、拡散説と独立発生説を「どちらが正しいか」で決着させようとする議論そのものが、あまり生産的ではないと見られている。実際に文化がどう伝わり、どう生まれ変わるかを見ていくと、伝播・独立した発明・地域ごとの応用が複雑に絡み合っているのが実態に近い、というのが今の主流の受け止め方だ。

洪水神話がその典型かもしれない。このブログでも以前扱ったが、世界中に大洪水の神話がある。これは一つの物語が伝わった結果でもありうるし、実際に各地で起きた大規模な洪水の記憶が、それぞれ独立に神話化された結果でもありうる。両方が同時に起きていても、何もおかしくない。

12回を振り返って

序章から数えて、メソポタミア、聖書、ギリシャ、エジプト、日本、マオリ、マヤ、アステカ、ヨルバ、ハウデノサウニー、そして今回。合計12の物語を追いかけてきた。

振り返ってみると、どの神話にも共通していたのは、たった一つの問いだった。「なぜ、いま自分たちがいるこの世界は、こういう形をしているのか」。マルドゥクは怪物を倒して秩序を作り、イザナギは黄泉から逃げ帰って生と死の境界を作り、ナナワツィンは炎に飛び込んで太陽を動かした。手段はまったく違うのに、問いはずっと同じだった。

伝わった説と独立発生説、どちらが正解かという結論は、正直に言えば出ない。研究者たちの間でも決着していない話を、このブログが決着させられるわけがない。ただ、一つだけ言えることがある。世界の神話がこれほど似ているという事実そのものは、伝わったにせよ、独立に生まれたにせよ、人類という一つの種が、同じ問いを抱えながら地球上に散らばっていった証拠だということだ。細部の衣装は、住んでいる土地の分だけ違う。その奥にある問いの形は、驚くほど揃っている。

次回予告

創世神話シリーズはここで完走。次回からは新しいシリーズ「世界の不思議な事件」に移る。第一弾で扱うのは、1959年にロシア・ウラル山脈で起きた、いまだに全容が解明されていない遭難事件だ。お楽しみに。

出典・参考情報源

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