――都市伝説で語られる女神と、記録の中に二度その名を残すクババの話。
2019年末、あるテレビ番組で、こんな説が紹介された。
「人類に知恵を授けたのは、クババという存在だ。人間の”肉体”を作ったものと、”知恵”を入れたものは別にいる」
さらに、こんな話も続く。クババという名前は、キューブ(立方体)の語源になった。メッカにある聖地カアバとも、音が似ている。サイバネティクス(cybernetics)という言葉をさかのぼると、キュベルネテス(操舵手)、そしてギリシャ神話の女神キュベレー、最後にクババへとたどり着く。石版に描かれた彼女の帽子の紋章は、日本の皇室の菊紋にそっくりだ――。
いくつもの符合が重なって、クババはいつしか「全女神の起源」と語られるようになった。
これは、都市伝説として語り継がれている、一つの説だ。真偽を確かめる術はない。ただ、こういう説が生まれるほど、クババという名前には何か引っかかるものがある。それは間違いなさそうだ。
そこで今回は、この説をいったん脇に置いて、記録の中に実際に残っている「クババ」を、素直に調べてみることにした。
記録の中に、二度登場する「クババ」
調べてみると、面白いことが分かった。
歴史の記録の中に、クババという名前は、実は二度登場する。
一度目は、紀元前2400年頃、メソポタミアの都市キシュを治めたとされる女性の王としてだ。シュメール王名表という、歴代の王の名前を書き並べた粘土板の記録に、名前が残っている。この王名表の中で、女性でありながら「王(ルガル)」の称号を得た統治者は、彼女ただ一人しかいない。伝承では、王になる前は酒場の女主人だったとも言われている。
二度目は、それよりずっと後の時代に登場する。紀元前18世紀頃――少なくとも紀元前1770年頃の印章にはすでに名前が刻まれている――、北シリアの都市カルケミシュで信仰されていた女神としてだ。中期青銅器時代のカルケミシュでは、彼女は主要な三柱の神の一柱に数えられていた。その後、フルリ人やヒッタイトの宗教に取り込まれ、鉄器時代になると、ルウィア人たちの間で最も重要な女神の一人にまでなっている。
同じ「クババ」という名前が、二度にわたって歴史に登場する。時代は1000年近く離れていて、場所も、メソポタミア南部のキシュと、北シリアのカルケミシュとで、大きく異なる。両者の関係を調べた研究者たちの結論は、はっきりしている。「時代と場所が違いすぎて、この二つの登場を結びつけることはできない」。
つまり、記録の上でわかっているのは、「クババ」という同じ名前が、まったく別の時代・別の場所で、たまたま二度使われていた、ということだ。「全女神の起源」につながるような、直接の証拠は見当たらない。

遺跡は、本当に見つかっている
ただし、ここからが今回いちばん伝えたいことなのだが、「クババの遺跡が見つかった」という話自体は、実は本当だ。しかも、最近になって二件も見つかっている。
一件目は、2023年12月。トルコ南部、オスマニエ県のカスタバラ遺跡で、女神クババに捧げられた神殿の跡が発見された。発掘したのは、オスマニエ・コルクット・アタ大学の研究チームだ。柱が並ぶ通りを掘り進めていたところ、紀元前540年頃、古代ギリシャの初期(アルカイック期)にあたる神殿の遺構が出てきたという。アナトリア地域で、女神クババのための神殿跡が見つかったのは、これが初めてのことだった。ちなみに、この神殿の神官たちは「燃える炭の上を裸足で、火傷もせずに歩いた」という言い伝えも残っているそうだ。
二件目は、今年――2026年1月。トルコ北部、アマスィヤ県のオルズ塚という遺跡で、イスタンブール大学の研究チームが、フリギア時代、およそ2600年前の宗教施設を発見した。カスタバラとは全く別の場所、別の発掘チームによる発見だ。
もしテレビやニュースで「クババの遺跡が見つかった」という話を見た記憶があるなら、おそらくこのどちらか、特に直近のものであれば、2026年1月のニュースだった可能性が高い。
つまりこういうことだ。「クババが全女神の起源だ」という部分は、確かめようのない、一つの説にすぎない。けれど「クババという女神が実際に信仰されていて、その神殿の跡が今も発見され続けている」というのは、都市伝説でも何でもない、ただの事実だ。
イナンナやアフロディーテの”元祖”という説について
都市伝説の中には、もう一歩踏み込んだ系譜も語られている。「クババが元になって、シュメールの女神イナンナが生まれ、そこからギリシャの女神アフロディーテへとつながっていった」というものだ。
これについては、年代を並べてみると、はっきりしたことが分かる。
イナンナの信仰は、少なくとも紀元前4000年から3100年頃、ウルクという都市ですでに始まっていた。ウルクにあるエアンナ神殿は、この時代からイナンナと結びつけられている。
一方、クババはどうか。伝説の女王クババは紀元前2400年頃、女神クババはさらに後の紀元前18世紀頃(紀元前1770年頃の記録が最古)。どちらも、イナンナの信仰が始まってから、1500年から2000年以上も後になって、ようやく歴史の記録に登場する存在だ。
つまり、時系列だけを見ても、クババがイナンナの”元”になることはできない。イナンナのほうが、圧倒的に先に存在しているからだ。
では、アフロディーテにつながる本当の系譜はどうなっているのか。研究者たちが実際に指摘しているのは、イナンナ→アッカドの女神イシュタル→ウガリトの女神アシュタルト→フェニキアの女神アスタルテ→ギリシャの女神アフロディーテ、という伝わり方だ。クババは、この系譜のどこにも登場しない。
クババとキュベレー、名前が似ている”別の話”
ここで、もう一つ紹介しておきたい話がある。クババには、アフロディーテとは別に、実際に学者たちの間で議論されてきた”つながり”がある。相手は、フリギアの女神キュベレーだ。
名前の響きがよく似ていることから、20世紀の研究者たちは、長らくこの二人を同じ女神だと考えてきた。1960年、フランスの研究者エマニュエル・ラロシュが「クババとキュベレーは同一の女神である」という説を発表し、この見方は2000年代になっても学術論文の中で繰り返されていた。2008年に発表されたマーク・マンという研究者の論文も、この「同一説」を支持する立場だった。
ところが、その後の研究で、見方は変わってきている。近年の学者たちは、クババとキュベレーを「はっきり別の女神」として扱うようになった。理由は、二人の”性格”が大きく違うからだ。クババは、都市を守る神(civic deity)であり、自然や山との結びつきはなく、「母」と呼ばれることもない。一方のキュベレーは、山や自然と強く結びついた、まさに「大地母神」の性格を持つ女神だ。研究者イアン・ラザフォードは、「この二人は、名前の由来が全く別なのに、ギリシャ・ローマ時代の書き手たちによって混同されただけだ」と指摘している。
ただし、まったく無関係と言い切るのも、少し慎重になったほうがよさそうだ。研究者マンフレッド・フッターは、クババを信仰していたカルケミシュが力を失い、代わってフリギア勢力が広がっていく中で、「クババへの信仰が、次第にキュベレーへの信仰に置き換わっていった」可能性を指摘している。ラザフォードも、「サルディスという都市で信仰されていたクババの姿が、ギリシャ人がキュベレーを自分たちの宗教に取り込む際に、多少なりとも影響した可能性は否定できない」としながらも、「その影響の範囲は限定的で、この説はあくまで推測の域を出ない」と、はっきり慎重な立場を取っている。
つまり、こういうことだ。「クババ=キュベレー」という説は、かつては専門家たちの間でも広く支持されていた、由緒ある仮説だった。でも今では、二人は別の女神として扱われている。ただし「地域が重なり、片方の信仰がもう片方に置き換わっていった可能性」までは、否定しきれていない。名前が似ているからといって同一視してしまう、という現象は、都市伝説の中だけでなく、れっきとした学術研究の歴史の中でも、実際に起きていたことだったわけだ。
帽子の”菊の紋章”、実はあった
冒頭で紹介した「石版に描かれた彼女の帽子の紋章は、日本の皇室の菊紋にそっくりだ」という話。都市伝説の中でもよく知られた部分だと思うが、これについてもきちんと調べてみた。
結論から言うと、「帽子に花のような紋章がある」という観察自体は、本当だった。
クババの図像を専門にまとめた学術論文によると、彼女の頭にのっているのは「ポロス」と呼ばれる、円錐形または低い円筒形の冠だ。そしてこの冠には、こう説明が続く。「ロゼットで飾られた帯があり、そこから面紗(ベール)が垂れ下がっている」。
ロゼットというのは、バラや菊のように、花びらが放射状に並んだ丸い装飾文様のことだ。つまり、石版に描かれたクババの帽子に、確かに花のような紋様が入っている――ここまでは、都市伝説側の”観察眼”は正しかったことになる。
ただし、ここから先が肝心だ。
このロゼットという文様、実はクババだけの特別な紋章ではない。古代メソポタミアから近東の美術全体で、ものすごくありふれた装飾だった。後の時代のアッシリアの王宮の壁面にも、ペルシャ(アケメネス朝)の美術にも、同じような花文様が繰り返し登場する。
しかも、である。ロゼット文様について調べていくと、こんな一文に行き当たる。「ロゼットは、イシュタル(イナンナ)の重要な象徴の一つだった」。
つまりこの花模様は、クババの専売特許どころか、むしろイナンナの象徴として、そちらのほうがずっと有名だったのだ。いろいろな女神の頭を飾り、神殿の壁を飾ってきた、いわば古代メソポタミア共通の”花柄”だった、ということになる。
では、日本の菊紋とのつながりはどうか。
ロゼット文様と、日本の皇室の菊紋(十六八重表菊)を直接結びつけている学術資料は、見当たらなかった。実際の菊紋の成立は、鎌倉時代の後鳥羽上皇が、身の回りの品にたいへん好んで菊の意匠を用いたことに遡る。時代でいうと12世紀から13世紀のことだ。皇室の正式な紋章として法律で定められたのは、さらにあとの1926年になる。
一方のクババの石碑は、北シリアで作られた紀元前1千年紀のものだ。時代でいえば、菊紋の成立より2000年以上も前になる。場所も、シリアと日本とでは、大きく離れている。
都市伝説の中には、これに加えて「サダム・フセインが所有していたブレスレットに同じ紋章があった」という逸話や、「シュメール人が縄文時代の日本に渡来した」という説も語られている。ただし、これらを裏づける一次資料は見つけられなかった。あくまで、そういう説がある、という以上のことは言えない。
整理すると、こういうことになる。「クババの帽子に花の紋章がある」という部分は、事実だった。でも、その花の紋章は、クババだけのものではなく、むしろイナンナのほうが象徴として名高い。そして、そこから日本の菊紋にまでつながる証拠は、今のところどこにも見当たらない。
ブラックキューブと土星の”符合”
冒頭で紹介した語源リレー、「クババ→キューブ→サイバネティクス→キュベルネテス→キュベレー」。この”キューブ”の話には、もう一段深いバージョンがある。ネット上でよく語られる「ブラックキューブ・オブ・サターン」説だ。
まず、幾何学の話から。立方体を、対角線の方向――角と角を結ぶ線の延長上――からのぞき込むと、輪郭は六角形に見える。これは誰でも確認できる。
そして、土星である。土星の北極には、実際に巨大な六角形の渦がある。1981年にボイジャー探査機が発見し、2006年以降はNASAのカッシーニ探査機が繰り返し撮影した。一辺はおよそ14500キロ、地球の直径よりも大きい。原因は大気の速度差が生み出すジェット気流で、オックスフォード大学の研究チームは、回転する液体を使った実験装置で同じ六角形を再現することにも成功している。土星の六角形そのものは、確認された天文現象だ。
「立方体を斜めから見ると六角形になる」「土星の北極にも六角形がある」。この二つを重ね合わせて、「古代の人々は土星を”黒い立方体”として崇拝していた」と語るのが、この説の骨格になる。
根拠として挙げられるのが、メッカのカアバ神殿と、ユダヤ教のテフィリンだ。
カアバは、アラビア語で文字通り「立方体」を意味する。ここは事実だ。ただし、実際の起源ははっきりしない。考古学的な発掘は行われておらず、いつ、誰が、何のために建てたのかは分かっていない。イスラーム以前のアラビアでは、カアバは特定の一柱の神ではなく、フバルを筆頭に、多くの部族の神々を祀る場所だった。角に置かれた黒石も、建物そのものとは別の、独立した聖なる石だ。
テフィリンは、ユダヤ教の敬虔な男性が朝の祈りで身につける、黒く塗られた小さな革の箱だ。中には律法の言葉を記した羊皮紙が収められている。由来は聖書の戒律にあるとされ、土星との関連を語る伝統的な出典は見当たらない。
もう一つ、この説には「クババ(のちのキュベレー)は、土星を象徴する神ニヌルタの妻だった」という話が添えられることもある。
ニヌルタが土星と結びつけられていたこと自体は、古代バビロニアの天文学の記録に確かに残っている。ここは事実だ。ただし、ニヌルタの妻として記録に残っているのは、癒しの女神グラ、あるいは(ニンギルスという名で呼ばれる場合は)バウという女神であって、クババではない。クババをニヌルタの妻とする組み合わせは、今回調べた学術資料の中には見つからなかった。
整理すると、こうなる。「立方体を斜めから見ると六角形になる」も、「土星の北極に六角形がある」も、「カアバは立方体という意味」も、「テフィリンは黒い箱」も、それぞれ単体では事実だ。けれど、これらを一本の線でつなぎ合わせて「古代人は土星を崇拝し、その象徴がクババだった」とするところには、今のところ、たどれる根拠が見当たらない。バラバラの本当の話を集めて、一つの大きな物語に仕立てる。これもまた、この記事で何度も見てきたのと、同じ形をしている。
イナンナとクババ、クババとキュベレー、帽子の花模様、そして立方体と土星。年代や研究の変遷、図像の細部、幾何学の偶然まで並べてみると、「似ている」という一点から、これだけ多くのものが結びつけられてきたことが、逆によく分かる。それぞれ、別々の場所で、別々の時期に生まれ、別々の道をたどっていった存在だ。

