千の目と、千の足を持つ神がいた。
神々はその体を、生贄として切り刻んだ。目からは太陽が、心臓からは月が、足からは大地が生まれた。
この話は、インドに伝わる神話である。ところが、ほとんど同じ形の物語が、遠く離れたペルシャにも、さらに遠い北欧にも、そして中国にも伝わっている。原初の巨大な存在が犠牲になり、その体から世界が生まれる。この骨格を持つ神話が、なぜ地球のあちこちに、示し合わせたように残っているのか。
インドのプルシャ ― 千の頭を持つ男
現存する人類最古級の文献『リグヴェーダ』。その第10巻90番目の讃歌に、プルシャという原初の存在が登場する。千の頭、千の眼、千の足を持ち、大地をあらゆる方向から覆い尽くすという、想像を絶するスケールの存在だ。
神々はこのプルシャを供物として祭壇に捧げ、解体した。心臓――正確には「マナス(意)」からは月が、眼からは太陽が、口からは雷神インドラと火神アグニが、呼吸からは風神ヴァーユが生まれた。臍からは大気が、頭からは天が、足からは大地が、耳からは四方位が生まれたと歌われている。
この讃歌には、もう一節、インド史において重い意味を持つ一節がある。プルシャの口からバラモン(祭司階級)が、両腕からクシャトリヤ(戦士階級)が、両腿からヴァイシャ(庶民階級)が、両足からシュードラ(隷属階級)が生まれた、という記述だ。この一節は、のちのインド社会における身分制度、ヴァルナの起源を語る根拠として、長く引用され続けることになった。
ペルシャのガヨーマルド ― 悪の霊に殺された最初の人間
インドから西へおよそ3千キロ、イラン高原にも、よく似た物語が伝わっている。
古代ペルシャの宗教、ゾロアスター教の伝承を集めた文献『ブンダヒシュン』には、ガヨーマルドという存在が記されている。最高神アフラ・マズダーが創った、最初の人間だ。太陽のように光り輝き、大地の中央に松明のように立っていたと伝えられる。かたわらには、同じくアフラ・マズダーが創った原初の牡牛も置かれていた。
けれど、この世界にはもう一つの力があった。悪の霊、アンラ・マンユである。アンラ・マンユは世界に侵入し、まず牡牛を、続いてガヨーマルドを、毒によって殺してしまう。
物語はここで終わらない。ガヨーマルドの体は、七つの金属に姿を変えたと伝えられている。金、銀、鉛、錫、真鍮、鉄。金属の一つ一つが、体のどこかの部位に対応していたという体系だ。そして、ガヨーマルドの種は太陽の光で清められたのち、40年のあいだ大地の中に留まった。40年後、その場所から一本の大黄の茎が伸び、二つに分かれる。それが最初の人間の男女、マシュヤとマシュヤーナグだった。二人はやがて体をほどき、人の姿となり、全人類の祖となったという。
体の一部から社会の階級が生まれたインドの物語に対し、ペルシャでは、体そのものから金属と人類そのものが生まれた、と語られている。
言葉でつながる、確かな証拠
インドに『リグヴェーダ』を伝えた言語、サンスクリット語。ペルシャにゾロアスター教の聖典を伝えた言語、アヴェスター語。この二つは、共通の祖先を持つ言語「インド・イラン祖語」から枝分かれしたものだと考えられている。『リグヴェーダ』を詠んだ人々と、ゾロアスター教を興した人々は、もともと同じ一つの民だった可能性が高い。
儀式そのものの名前にも、その痕跡が残っている。インドでは、火を焚いて供物を捧げる祭式を「ヤジュニャ」と呼ぶ。ペルシャでは同じ火の祭式を「ヤスナ」と呼ぶ。どちらの祭式でも中心的な役割を果たすのが、聖なる植物から搾り取った飲み物だった。インドでは「ソーマ」、ペルシャでは「ハオマ」。これも同じ言葉から枝分かれした名前である。
もう一つ、奇妙な符合がある。インドの聖典では「デーヴァ」が神々を、「アスラ」が悪しき者たちを指す。ところがペルシャの聖典では、これが正反対になっている。最高神の称号は「アフラ・マズダー」――アスラと同じ語根だ。そして「ダエーワ」、デーヴァと同じ語根を持つ言葉が、悪しき者たちを指す。神と悪魔が、鏡写しに入れ替わっている。研究者の多くは、これを偶然の一致ではなく、もともと一つだった信仰が、ある時点で分裂した痕跡だと考えている。ゾロアスターという人物による宗教改革が、その分裂のきっかけになったのではないか、というのが有力な説だ。
北欧のユミル ― 氷と炎のあいだから
この骨格を持つ物語は、もっと遠く、北欧にも伝わっている。
13世紀のアイスランドで編纂された『スノッリのエッダ(散文エッダ)』と、それよりさらに古い口承詩をまとめた『詩のエッダ』に、世界の始まりが記されている。世界がまだ何もなかった頃、あったのはただ広大な虚無だった。この虚無は「ギンヌンガガプ」と呼ばれる。その南には炎の国ムスペルヘイム、北には氷の国ニヴルヘイムが広がっていた。
炎の熱と氷の冷気が、虚無の真ん中でぶつかり合う。氷は溶け、その滴から、最初の生き物が生まれた。一人は原初の巨人ユミル。もう一人は原初の牝牛アウズフムラだ。ユミルはこの牛の乳を飲んで育ち、牛は塩気を帯びた氷塊を舐めて命をつないだ。牛が三日間、同じ氷塊を舐め続けると、一日目には人の髪の毛が、二日目には頭が、三日目には全身が現れる。こうして生まれたのが、神々の祖となる最初の神、ブーリだった。
ブーリの孫にあたる三兄弟、オーディン、ヴィリ、ヴェーが生まれる。のちに北欧神話の主神となる、あのオーディンだ。この三兄弟は、原初の巨人ユミルを殺した。ユミルの体はあまりに巨大だった。三兄弟はその亡骸をギンヌンガガプの中心まで引きずっていき、そこから世界そのものを作り上げていく。
肉は大地になった。血と汗は海や湖になった。骨は山に、砕けた骨や歯は岩や砂利になった。髪の毛は木々になり、頭蓋骨は持ち上げられて空になった。その空の四隅は、東西南北を意味する四人の小人、アウストリ、ヴェストリ、ノルズリ、スズリが、それぞれ支えているとされる。脳みそは、放り投げられて雲になったという。眉毛は、人間が暮らす中つ国「ミズガルズ」を、巨人族から守る囲いとして使われた。私たちが今立っている大地も、見上げる空も、この神話の世界観の中では、すべて一人の巨人の亡骸だということになる。
プルシャ、ガヨーマルド、そしてユミル。三つの物語が、そろった。
学者の中には、ユミルという名前そのものが、”双子”を意味するインド・ヨーロッパ祖語の言葉に由来するのではないか、と考える人もいる。同じ語根は、インドの死者の王ヤマや、その対応者とされるペルシャの王ジャムシードの名前にも見られる。神話学者ブルース・リンカーンは、「双子の片方が犠牲にされ、その体から世界が作られる」という物語の骨格そのものが、インド・ヨーロッパ祖語族に共通して伝わっていた、一つの古い神話だったのではないかと論じている。プルシャも、ガヨーマルドも、ユミルも、この仮説にあてはめると、同じ一つの物語が、それぞれの土地で少しずつ姿を変えたものだ、ということになる。
言葉が親戚同士なら、神話が似ているのも、ある意味では自然なことかもしれない。
中国の盤古 ― 深まる謎
けれど、この骨格を持つ物語は、もう一つある。今度は、事情が少し違う。
世界がまだ、混沌とした一つの卵のようだった頃。その卵の中で、一人の巨人が生まれた。盤古である。陰と陽が、およそ1万8千年かけて釣り合っていき、卵の中から盤古が生まれる。目覚めた盤古は大きな斧を振るい、濁った陰(のちの大地)と澄んだ陽(のちの天)を引き裂いた。けれど放っておけば天地はまた戻ろうとする。それを防ぐため、盤古は天地の間に立ち続け、両手で空を押し上げ続けた。天は一日に三メートルずつ高くなり、地は一日に三メートルずつ厚みを増し、盤古自身もそれに合わせて背丈を伸ばしていった。この状態が、さらに1万8千年続いたという。

力尽きた盤古が死んだとき、その巨体は世界そのものに変わっていく。息は風と雲に、声は雷鳴に、左目は太陽に、右目は月に、血液は川に、筋肉は肥沃な土地に、髭と髪は星々と天の川に、体毛は草木に、骨は鉱物に、汗は雨になった、と伝えられている。プルシャも、ガヨーマルドも、ユミルも、体の一部から世界が生まれる物語だった。盤古の物語は、その中でも特に、体のすみずみまでが余すことなく世界に変わっていく点で際立っている。
盤古という名前、聞いたことがある人も多いはずだ。けれど、この神話が文献に記録されたのは、実はそれほど古い時代ではない。記録に残る文献としては、3世紀、三国時代の学者、徐整が著した『三五暦紀』が最初とされる。それより古い時代の中国の文献には、盤古は一切登場しない。そしてちょうど同じ頃、シルクロードを通じて仏教とともに、インドの宇宙論が中国へ流れ込み始めていた。このタイミングの一致から、研究者の中には、盤古の物語は、インドのプルシャがインド伝来のルートで中国風に翻案されたものではないか、と考える人もいる。
ただし、話はそう単純でもない。盤古という名前自体は、三国時代より前の墓の副葬品にも見つかっている。このことから、中国南部の少数民族に古くから伝わっていた、土着の伝承だった可能性も指摘されている。インドから来た「輸入品」なのか、もとから中国にあった物語なのか。どちらが正しいかは、今も決着していない。
“手堅い”説明が、通用しない
インドのプルシャ、ペルシャのガヨーマルド、北欧のユミル。この3つの神話を伝えた言語――サンスクリット語、アヴェスター語、古ノルド語は、すべて「インド・ヨーロッパ祖語」という一つの言葉から枝分かれした、いわば親戚同士の言語だった。言葉が親戚なら、神話が似ているのも自然かもしれない。そういう”手堅い”説明が、3つの神話のあいだには成り立つ。
けれど、中国語は、この語族には属していない。もし盤古が本当に、中国で独自に生まれた神話だったとしたら――言葉も地理も縁もゆかりもないはずの土地で、なぜこれほど似た物語が、それぞれ独立に語られたのか、という、はるかに大きな謎が残る。
旧石器時代から続く”物語の骨格”?
この謎に、正面から理論的な説明を試みた学者がいる。ハーバード大学でサンスクリット語・比較神話学を専門とするミヒャエル・ヴィツェルだ。ヴィツェルは2012年の著書『世界の神話の起源』の中で、「ローラシア神話」という仮説を提唱した。
ユーラシア大陸から南北アメリカ大陸にかけて広く分布する神話群には、「無からの世界創造 → 神々の世代交代 → 英雄の時代 → 現在、そしていずれ訪れる終末」という共通の物語の骨格が見て取れる。この骨格は、旧石器時代に東アフリカを出た現生人類の一部が、ユーラシアへと拡散していく過程で共有し、運び続けてきた、非常に古い神話の伝統に由来するのではないか。それが、ヴィツェルの主張である。プルシャも、ガヨーマルドも、ユミルも、盤古も、もとをたどれば、言語の違いさえ超えた一つの太古の物語から、枝分かれしたものなのかもしれない。
ただし、この「ローラシア神話」という枠組みは、あくまでヴィツェル自身が唱えた一つの仮説であって、比較神話学の世界で全面的に認められているわけではない。とりわけ、サハラ以南のアフリカやオセアニアの神話を、ローラシア神話と対になる「ゴンドワナ神話」として一括りにする分類には、「単純化しすぎている」という批判も研究者のあいだから出ている。
言葉でつながる物語、言葉を超えてつながる物語
言葉でつながる物語と、言葉を超えてつながっているかもしれない物語。
盤古が、インドから旅をしてきた物語なのか。それとも、まったく別の場所で、まったく同じ発想にたどり着いた物語なのか。そのどちらでもなく、人類が言葉を持つよりもずっと前から、この物語を語り継いできたのだとしたら――
千の目を持つ神も、七つの金属に変わった最初の人間も、大地となった巨人も、卵から生まれて空を支え続けた巨人も。それぞれの土地で、それぞれの姿で語られてきた。その答えが、一つの物語の枝分かれなのか、まったく別々に生まれた偶然なのか。今のところ、誰にも証明も否定もされていない。
## 出典・参考情報源
– 『リグヴェーダ』第10巻90番目の讃歌「プルシャ・スークタ」
– 『ブンダヒシュン』(ゾロアスター教中期ペルシャ語文献、成立は9世紀頃とされるが、より古いアヴェスター語の伝承を集成したものとされる)
– 『スノッリのエッダ(散文エッダ)』「ギュルヴィたぶらかし」、『詩のエッダ』「ヴァフスルーズニルの言葉」
– 『三五暦紀』(徐整、3世紀・三国時代呉)
– ミヒャエル・ヴィツェル『世界の神話の起源』(2012年)における「ローラシア神話」仮説
– ジョルジュ・デュメジル、ブルース・リンカーンによるインド・ヨーロッパ祖語族の犠牲神話・トリファンクショナル仮説に関する議論
※本記事で紹介した神話・仮説は、文献として記録・出版が確認できるものを扱っています。インド・ヨーロッパ祖語族の共通神話説や「ローラシア神話」仮説は、比較神話学の中でも異論のある学説であり、確定した学説として提示するものではありません。プルシャ・スークタに記されたヴァルナ(身分制度)起源の記述は、歴史的な記録として紹介するものであり、現代における身分・階級制度を肯定または否定する意図はありません。

