世界の創世神話(3) 「言葉」だけで世界は生まれるのか ― 聖書『創世記』と、エヌマ・エリシュをめぐる比較論争

暗闇の水面に、一筋の暖かい光が差し込む瞬間を表したシルエットイラスト。創世記の「光あれ」による天地創造をイメージしている メソポタミア

“ティアマト”と、”テホーム”

世界の創世神話(2) なぜ世界の始まりは「神々の戦争」として語られたのか ― バビロニア『エヌマ・エリシュ』とマルドゥクの下剋上
今回も"巨人の体"は出てくる。でも、事情がまったく違う前回、インドのプルシャ、中国の盤古、そして北欧のユミルという、原初の巨大な存在の体から世界が作られる神話を追いかけた。今回向かうのはメソポタミア、バビロニアの都で語られた創造叙事詩『エヌ…

前回、バビロニアの創造叙事詩『エヌマ・エリシュ』を最後まで追いかけた。

神々の内輪もめの果てに、女神ティアマトの体が引き裂かれた。そこから天と地が生まれる、血なまぐさい「戦闘型」の創造神話だった。

今回向かうのは、旧約聖書の巻頭を飾る『創世記』だ。

「はじめに、神は天と地を創造された」。世界中でもっとも読まれてきたであろう、この一文から創造神話は始まる。前回の暴力的な神々の戦争とは、一見まったく違う顔をしている。

ここには血も、戦争も、殺される神もいない。あるのは、ただ「言葉」だけだ。神が「光あれ」と言えば光が生まれる。比較神話学ではこれを「言葉による創造型」と呼ぶ。

だが実はこの二つの物語には、無関係だと言い切れない奇妙な接点がある。前回の記事の最後でも触れた通りだ。創世記の冒頭に出てくる「深淵(テホーム)」という言葉と、ティアマトの名前は、驚くほどよく似た響きを持っている。

この一致は偶然なのか。それとも二つの物語のあいだに、何かしらの繋がりがあるのか。今回はまず、創世記の創造神話そのものをじっくり読んでいく。そのうえで、100年以上続いてきた比較論争の中身を見ていきたい。この論争はかつて「バベルと聖書論争」と呼ばれ、学界を揺るがした。

「言葉」だけで世界が作られていく――創世記第一の創造物語

創世記の冒頭、第1章は非常に整然とした構成を持っている。

まず、創造が始まる前の状態がこう描写される。「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた」。

ここに出てくる「淵」が、ヘブライ語で「テホーム」だ。

渦巻く水に覆われた、何もない暗闇。この物語はそこから始まる。『エヌマ・エリシュ』の冒頭で語られた、アプスーとティアマトの原初の水を思い起こさせる情景だ。

そこから神は、6日間かけて世界を作り上げていく。その方法は一貫している。

「光あれ」「大空あれ」「水よ集まれ」――神が言葉を発するだけで、それがそのまま現実になる。粘土をこねることも、敵を倒すことも必要ない。

1日目、神は「光あれ」と言い、光を昼、闇を夜と呼ぶ。

2日目、水と水のあいだに大空(天)を作り、水を上下に分ける。

3日目、下の水を集めて海とし、乾いた地を現し、そこに植物を生えさせる。

4日目、太陽・月・星々を作り、季節やしるしを司らせる。

5日目、海の生き物と鳥を作る。

6日目、地の生き物を作り、最後に「われわれのかたちに、われわれに似せて、人を造ろう」と言い、男と女を同時に創造する。

そして7日目、神はすべての創造の働きを終えて休む。

この物語には、繰り返し使われる定型句がいくつもある。「神は……と言われた」「そのようになった」「神はこれを見て、良しとされた」。この規則正しい反復のリズムこそが、創世記第1章の大きな特徴だ。

この物語は、祭儀や系譜の記述を得意とする、いわゆる「祭司資料(P資料)」という文書層に由来すると考えられている。整然とした儀式のような文体で、世界の成り立ちを語っているのが特徴だ。

実はもう一つある――土から人が作られる、創世記第二の創造物語

ここであまり知られていない、しかし聖書学ではよく知られたポイントに触れておきたい。

実は創世記には、創造の物語が2つ、続けて収録されている。

第1章から第2章4節前半までが、今見てきた6日間の創造物語だ。

ところが第2章4節後半から、まったく異なる筋立ての創造物語が始まる。

ここでは神(この部分ではヤハウェという神名が使われる)が、まず「土のちり」で人(アダム)を形作る。そして、その鼻に命の息を吹き込む。

そのあとで植物を茂らせ、エデンの園を作る。動物たちも作り、人のところへ連れてくる。そして最後に、深く眠らせた人のあばら骨から女(のちのエバ)を作る。

手が差し出す光とともに土のちりが降り注がれ、人の形が浮かび上がる瞬間を表したシルエットイラスト。創世記第2章の、土のちりから人(アダム)が作られる場面をイメージしている

創造の順序も、人の作られ方も、第1章とはまるで違う。

聖書学の伝統的な文献批評――19世紀にユリウス・ヴェルハウゼンが体系化した「文書仮説」――では、この違いをこう説明する。性質の異なる複数の資料が編纂されて、今の創世記になったという痕跡だ、という説明だ。

整然とした儀式的な文体で「神」という呼び名を使う第1章的な部分は、「祭司資料(P)」と呼ばれる。より人間味のある描写で「ヤハウェ」という神名を使う第2章的な部分は、「ヤハウェ資料(J)」と呼ばれる。この呼び分けが、文書仮説の基本的な枠組みだ。

厳密な資料区分そのものについては、現在も研究者の間で細部の異論がある。ただし、創世記の冒頭に、成立の背景が異なる2つの創造物語が並べて収められているという観察自体は、聖書学において広く共有されている。

今回はこのうち、比較神話学的により多くの論点を持つ第1章――「言葉による創造」の物語を中心に見ていく。

「バベルと聖書」論争――比較のはじまり

創世記とメソポタミアの神話を結びつける発想は、実は100年以上前から存在する。

19世紀末から20世紀初頭にかけて、メソポタミアの遺跡から大量の粘土板文書が発掘された。これにより、『エヌマ・エリシュ』をはじめとする古代の文学が、ヨーロッパの学者たちの目に触れるようになった。

この流れの中で1902年、ドイツの東洋学者フリードリヒ・デーリッチュが、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の御前で連続講演を行った。題して「バベルと聖書(Babel und Bibel)」。これが、大きな論争を巻き起こす。

デーリッチュは、聖書の創造物語や洪水物語がバビロニアの神話に由来すると主張した。つまり、聖書はメソポタミア文明からの「借り物」にすぎないという趣旨の主張だ。

この講演は当時、聖書の独自性や霊感を揺るがすものと受け止められた。ヨーロッパの神学界・一般社会を巻き込む大論争、いわゆる「バベル・ビーベル論争」に発展する。

さらにこの時期には、やや極端な立場を取る学者も現れた。バビロニア文明こそが、あらゆる古代宗教・文化の源流である、という立場だ。これは「汎バビロニア主義(パン・バビロニズム)」と呼ばれる。

創世記とエヌマ・エリシュのあいだに見つかる類似点は、こうした直接的な借用説の強力な根拠として扱われた。「聖書はバビロニアの神話の焼き直しだ」という時代があったわけだ。

現在の学説――「借用」ではなく「共通の思考の世界」

ただし、その後の研究の蓄積によって、この直接借用説はしだいに支持を失っていく。

より多くの古代近東文書が発見・研究されるにつれ、あることが分かってきた。バビロニア文化が古代地中海世界のあらゆる宗教に一方的な影響を及ぼしていたとする、汎バビロニア主義的な見立てそのものが、行き過ぎだったのだ。

現在、比較宗教学・聖書学で比較的広く共有されている見方がある。それは、直接の借用でも、まったくの偶然の一致でもない、第三の立場だ。

すなわち、創世記とエヌマ・エリシュは、互いに直接コピーし合った関係ではない。

宇宙の成り立ちについての”考え方の枠組み”が、古代近東という同じ地域・同じ時代の中で共有されていた。たとえば「秩序ある世界は、無秩序な原初の水を制御することで生まれる」という発想だ。それぞれの民族が、この枠組みを自分たちの神学に合わせて独自に表現し直した、という理解だ。

似ているのは、同じ話をコピーしたからではない。

同じ古代近東という”思考の土壌”を共有していたから、という説明になる。

もっとも、この「共通の土壌」説がすべての論点に決着をつけたわけではない。

創世記の特定の資料層(特に祭司資料)は、実際にバビロン捕囚(紀元前6世紀)の時期に最終的にまとめられたと考える研究者も少なくない。

この時期、ユダの人々はバビロニアの只中で生活していた。エヌマ・エリシュのような物語を、直接見聞きしたはずの歴史的状況だ。

この場合、単なる漠然とした”思考の土壌の共有”を超えた関係が想定されることになる。捕囚下のユダの知識人たちが、目の前にあるバビロニアの創造神話を意識しながら、それに対抗する形で自分たちの創造物語を仕上げていった、というもう一段具体的な関係だ。

次のセクションでは「テホームとティアマト」の論争を見る。そのあとで「創世記はいつ書かれたか」という論争も見ていく。どちらも、この一段具体的な関係が本当に成り立つのかどうかを、個別に検証しようとする試みだと言える。

テホームとティアマト――名前は似ているのに、決着していない語源論争

ここが今回の記事の核心のひとつだ。創世記1章2節の「淵」を意味するヘブライ語「テホーム(tehom)」と、バビロニアの女神「ティアマト(Tiamat、アッカド語でtiamtu)」。この二つの単語の類似は、19世紀の学者たちが最初に指摘した。以来、繰り返し議論されてきた。

この類似を積極的に評価する立場の根拠はいくつかある。

まず、テホームという単語には、文法的な特徴がある。ヘブライ語の他の名詞と違って、通常「定冠詞」を伴わずに使われるのだ(本来は固有名詞的な性格を持っていた可能性を示す)。

加えて、テホームと同じ語根を持つ言葉は、他の言語にも見つかっている。ウガリット語(t-h-m)やアッカド語(tiamtu)など、近隣の北西セム語系・アッカド語の言語だ。これらが共通の祖語に遡る「同根語(コグネイト)」の関係にあること自体は、比較言語学的に広く認められている。

研究者ロバート・スティーグリッツらは、エブラ文書などの資料をもとに論考を発表している。この語族に連なる神格(ベルート、ヤム、ティアマトなど)が、地中海東岸一帯で広く共有されていたことを示す内容だ。

一方で、この類似を過大評価することへの慎重な指摘もある。

この二つは、別の問題だからだ。ひとつは、テホームとティアマトが「同じ語根に由来する言葉どうし」であること。もうひとつは、創世記の著者がエヌマ・エリシュの女神ティアマトという”神格そのもの”を念頭に置いて、テホームという言葉を選んだかどうか、ということだ。

テホームは創世記の本文中では終始、意志を持たない単なる自然物として扱われている。ただの「水」「深み」だ。ティアマトのように神として人格化されたり、誰かと戦ったりする場面は一切登場しない。

これを根拠に、こう説明する立場がある。テホームはティアマトという神話的存在の”痕跡”を残しつつも、創世記の著者によって完全に神性を奪われた。ただの物質として書き換えられているのだ、という立場だ(次のセクションで扱う「非神格化」の議論とも重なる)。

つまり両者は、言葉としては同じ語源を共有する親戚どうしだ。しかし、テホームという言葉自体がティアマトという固有の女神の名前から直接借用された、と断定できるところまでは証拠は届いていない。

まとめると、テホームとティアマトが遠い言語的siblings(同根語)であること自体は、比較的広く認められている。一方で、それが創世記の著者による意図的な”当てつけ”だったのかどうかは分かっていない。単に同じ語族の言葉が、別々の文脈でたまたま似た響きのまま使われ続けただけなのかもしれない。学者の間でも見解が分かれる、決着のついていない論点だと理解しておきたい。

創世記とエヌマ・エリシュの類似点・相違点を6項目で比較した図解。テホームとティアマトの語源論争、および「借用説」と「共通の思考の世界」説の対比も示している。

もう一つの論点――創世記はいつ書かれたのか

テホームとティアマトの関係を考えるうえで、避けて通れない問題がある。そもそも創世記1章(祭司資料)が、いつ書かれたのか、という年代の問題だ。

古典的な文書仮説を体系化したヴェルハウゼンは、祭司資料の成立時期をこう考えた。紀元前6〜5世紀頃、つまりバビロン捕囚期からその直後にかけての時期だ。

この年代観に立てば、祭司資料の書き手たちはバビロニアの地で生活していたことになる。エヌマ・エリシュの朗誦(前回の記事で見た、新年祭アキトゥでの上演)を、実際に見聞きした可能性も高い。そう考えると、テホームとティアマトの類似も、そうした直接的な接触を反映したものだと考えやすくなる。

ただし、この古典的な年代観も、現在では研究者のあいだで単純な合意とは言えなくなっている。

20世紀後半以降の研究では、祭司資料の成立時期をさらに後ろに考える研究者が増えている。バビロン捕囚期よりもさらに後ろ、ペルシャ帝国時代(紀元前5〜4世紀ごろ)まで下げる見方だ。一部にはさらに時代を下って、ヘレニズム期に成立を求める、より少数派の見方も存在する。

トーラー(モーセ五書)全体が現在の形にまとまったのは、おおむね紀元前450〜350年頃のペルシャ支配下だった。この見立てが、現時点では比較的有力とされている。ただしこれも学界全体の最終的な合意というよりは、現在もっとも支持を集めている仮説の一つだ。

つまり、創世記1章がバビロン捕囚と何らかの形で関わりながら成立したという見立てそのものは根強く支持されている。

しかし、これが具体的にどのような関わりを意味するのかは、まだ分かっていない。「亡命先で直接エヌマ・エリシュを聞いて書いた」という、かなり具体的な接触を意味するのか。それとも「その時代の空気の中で、間接的に古代近東の宇宙観を吸収しながら書いた」という、もう少し緩やかな関わりを意味するのか。年代論争そのものが決着していない以上、これはなお開かれた問いとして残されている。

深掘り――もしこれが”論駁”だったとしたら

年代や語源の話とは別に、もう一つ興味深い読み方を紹介したい。創世記1章を、バビロニアなど周辺文化の神話に対する立場として読む方法だ。静かながら意図的な”論駁(ポレミック)”として読む、という立場になる。

まず、先ほど見たテホームだ。エヌマ・エリシュのティアマトは、明確な意志を持った「敵」だった。マルドゥクに戦いを挑み、軍勢を率いて敗れている。

ところが創世記のテホームは、神に逆らう力も意志も持たない。ただ従順に「集められる」だけの水として描かれる。かつて神格だったかもしれない存在が、単なる自然現象へと格下げされている、という読み方だ。

次に、創世記1章21節に登場する「大きな海の怪物(タンニーン)」だ。

古代近東の神話では、海の巨大な怪物や竜は、しばしば神と戦う強大な敵として登場する。ティアマトはその代表例だ。後の聖書自身にも、「レビヤタン」のような海の怪物への言及が、別の箇所に残っている。

しかし創世記1章では、この海の怪物は他の生き物と同じように扱われる。神が「創造された(バーラー)」というごく普通の動詞を使って、あっさりと作られる存在の一つとして登場するにすぎない。

倒すべき敵ではなく、単なる被造物のリストの一項目として片づけられているわけだ。

そして4日目に作られる太陽・月・星々。古代近東の多くの文化圏では、太陽や月は固有の名前を持つ神そのものとして崇拝の対象だった。

ところが創世記1章は、これらを名指しで「太陽」「月」とは呼ばない。あえて「大きな光る物」「小さな光る物」という、意図的に素っ気ない言い方で呼ぶ。

周辺文化で神として崇められている天体を、単なる”照明器具”程度の被造物へと引き下げているように読める。これがハーゼルらの指摘だ。

こう並べてみると、一つの読み方が成り立つ。創世記1章は、周辺の神話を無自覚に真似た物語ではない。周辺文化で神とされていたもの(原初の海、海の怪物、天体)を、一つひとつ意図的に”ただの被造物”へと格下げしていく。いわば逆方向のメッセージを持つ物語だ、という読み方だ。

もちろんこれも数ある学術的解釈の一つだ。全ての聖書学者が、同じ結論を共有しているわけではない。ただ、「似ている部分がある」という事実だけでなく、「どこがどう違うのか」に注目することで見えてくる論点として、押さえておく価値がある。

【入門編】エヌマエリシュってどんな話?ゼロからわかりやすく解説
エヌマエリシュって、そもそも何?名前の意味は「いと高きところで」エヌマエリシュは、古代メソポタミアで生まれた神話です。メソポタミアは、今のイラクのあたりにあった地域です。実はこの「エヌマ・エリシュ」という言葉は、実際には物語のタイトルではあ…

次回予告

次回はギリシャへ舞台を移す。ヘシオドスの『神統記』が語る、カオスからガイアが生まれ、その息子ウラノスが去勢されて王権が移っていく物語だ。今回まで見てきた「言葉による創造」「戦闘による創造」とはまた違う、”王位継承”というドラマを軸にした創造神話だ。次回はじっくり追いかけていく。

出典・参考情報源

※テホームとティアマトの語源的関係については、同根語であること自体は比較的広く認められている。ただし、それが創世記の著者による意図的な言及だったかどうかは、学者間で見解が分かれている。本文ではその両論を併記している。
※創世記(祭司資料)の成立年代についても、バビロン捕囚期説からペルシャ期説まで複数の仮説が併存している。学界の最終的な合意には至っていない。本文では現時点で比較的有力とされる見立てを紹介しつつ、断定を避ける書き方を維持している。

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