徹夜の宴、始まりはただの表敬訪問だった
舞台は、メソポタミア南部の都市エリドゥ。
そこには「アブズ」と呼ばれる、地下の淡水がこんこんと湧き出る場所があり、知恵と魔術を司る神エンキが住んでいました。
ある日、エリドゥにひとりの女神が訪ねてきます。ウルクの都を治める女神、イナンナです。
エンキは上機嫌でした。使者イシムド(顔を二つ持つ、という不思議な姿で知られる神です)に命じて、イナンナを盛大にもてなすよう指示します。バターケーキ、冷たい水、そして何杯ものビール。
「客人には、最高のもてなしを」
そう言って、エンキは自分もイナンナと一緒に杯を重ね始めました。
杯を重ねるごとに、気前がよくなっていく知恵の神
ここから物語は、少し予想外の方向に転がっていきます。
飲み比べが進み、エンキの酔いが深まるほどに、彼はどんどん気前がよくなっていきました。そして、こう言い出したのです。
「私の名において、彼女に授けよう」
エンキが与えたもの――それが、シュメール神話で「メ」と呼ばれる、神聖な権能の数々でした。
英雄であること、力を持つこと、都市を滅ぼすこと、正義をおこなうこと。大工の技、鍛冶の技、書記の技、皮革職人の技、葦細工の技。叡智、家族の絆、争い、勝利、判断すること、老いること――記録に残っているだけで、90を超える項目が次々とイナンナに手渡されていきます。
良いものも、物騒なもの(都市の破壊や欺きまで含まれています)も、区別なく。エンキはただ気持ちよく、酔うほどに気前よく、文明を成り立たせるほとんどすべての力を、目の前の女神に渡し続けたのです。
イナンナは、渡されたメを一つも取りこぼさず、丁寧に受け取っていきました。そして、それを抱えて「天の舟」に乗り込むと、エリドゥを後にしました。

気づいた時にはもう遅い――六度の追跡
酔いが覚めたエンキは、自分が何をしてしまったかに気づきます。アブズを見渡しても、あの数々のメがどこにもない。
「イシムドよ、天の舟はどこだ」
慌てたエンキは、イシムドに命じて追っ手を差し向けます。しかも一度きりでは終わりません。
最初に送られたのは「エンクム」という存在。それでも取り戻せないと見るや、次はエリドゥの巨人50体。それでも駄目なら、地下水の精霊「ラハマ」を50体。さらに大魚の群れ、ウルクの守護者たち、そしてイド・スルンガルにまつわる者たち――都合6回にわたって、エンキは次々と刺客を送り続けました。
けれどイナンナは、そのたびに涼しい顔で同じことを繰り返します。渡された神的な力(メ)をしっかりと握り直し、天の舟ごと奪い返してみせるのです。まるで、最初から負ける気配がありません。
「喜びの門」をくぐって
六度の追跡をすべてかわしきったイナンナは、ついに自分の都、ウルクへとたどり着きます。
彼女が通ったのは「喜びの門」、そして「ジパルの門」。ウルクの人々は、女神が持ち帰った数々のメを目にして、歓喜したことでしょう。
一方のエンキは、最終的にこの結末を受け入れます。「私の力の名において、私のアブズの名において」と宣言し、和解の言葉を残して物語は幕を閉じます。強引に奪われたはずなのに、最後は妙に清々しい終わり方をするのが、この神話の面白いところです。
そもそも「メ」とは、何なのか
ここまで読んで、「メ」という言葉が何度も出てきたのに気づいた方も多いと思います。ここからは、この神話を読み解くうえで欠かせない「メ」について、少し詳しく掘り下げてみます。
「メ」は、シュメール文明における、社会や文化を成り立たせる根源的な力・権能を指す言葉です。王位や玉座といった統治の力から、大工や鍛冶といった職人技、真理・勝利・判断といった抽象的な概念、さらには都市の破壊や欺きといった負の側面まで、実に幅広い項目が「メ」として扱われています。
面白いのは、良いものだけでなく悪いものまで「メ」に含まれている点です。シュメールの人々にとって、争いも欺きも、人が生きていくうえで避けられない一部だと考えられていたようです。
この「メ」を専門的に研究したのが、ドイツの研究者ゲルトルート・ファーバー=フリュッゲです。1973年、「イナンナとエンキ」の神話に登場するメのリストを体系的に整理・分析した研究(“Der Mythos Inanna und Enki unter besonderer Berücksichtigung der Liste der me”)を発表し、これが現在でもこの分野の基礎資料として参照され続けています。
ただし、この研究から50年以上が経った今も、「メ」の正体そのものについては、統一された見解が確立されていません。物理的な”モノ”だったのか、それとも抽象的な”概念”や”儀式”だったのか。学者によって解釈が分かれる、いまだ決着のついていない謎なのです。
出典について
今回の物語は、オックスフォード大学が公開している「シュメール文学電子テキストコーパス(ETCSL)」に収録された、「イナンナとエンキ」の粘土板翻訳をもとに再構成しました。粘土板そのものは断片的で、複数の写本をつなぎ合わせて全体像が復元されています。細部の解釈には研究者による違いがあることも、あらかじめお断りしておきます。
「メ」についての学術的な整理は、前述のファーバー=フリュッゲの研究を参照しています。
これだけの力を、酒の勢いとはいえ一度に手放してしまったエンキ。そしてそれを一身にまとって、涼しい顔で都に帰っていったイナンナ。
この女神が身にまとった力は、後に少し違う形で、彼女の体にもう一度まとわりつくことになります。ただし、そのときは「与えられる」のではなく――「一つずつ、剥ぎ取られていく」ことになるのですが。
その話は、また別の機会に。

