[古代神話のミステリー]古代オリエントからギリシャへ 粘土版が伝えるバアル神話とゼウスの知られざる系譜

ギリシャ神話

前回までのおさらい

前回の記事では「父を去勢して王位を奪う」という、ギリシャ神話お馴染みのモチーフがおそらくヒッタイトの神話の直系の子孫であろうと言うところまで辿り着きました。

ですが、さらに深掘りしていくと、この物語の源流は遥か遠く、メソポタミアにまでつながっていきます。

その前に、今回はもう一つは外すことのできない存在について深掘りしたいと思います。

ウガリットの神話つまりカナン人の神話、宗教です。

さぁ、あなたも神話沼へようこそ。

神話が流れたもう一つのルート

前回扱ったヒッタイトの伝搬ルートとは別にメソポタミアの神話文化がギリシャへ流れ込んだルートがもう一つあります。 

ヒッタイト経由のルートは前回ご紹介済みなので今回はウガリット経由のルートを追いかけます

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メソポタミア(シュメール/アッカド)

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フルリ人 (文化吸収)→ヒッタイト→ギリシャ(※前回)

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ウガリット(カナン)→エーゲ海・ギリシャ(※今回)

ウガリットとは何者か?

ウガリット人というのはカナンの文化圏の中でも北端に位置する都市国家です。

北にヒッタイト、東にフルリ・メソポタミアと接する地中海有数の貿易港でした。

そのため、内陸のカナン地方よりもフルリやメソポタミアの影響を受けていたと考えられています。

地理的な条件も絶妙でした。青銅の材料である銅を運ぶ「キプロス・エーゲ海ルート」と高度な粘土版文化を運ぶ「ユーフラテス・ルート」の両方が交わる場所にあったのです。

ヒッタイトは軍事国家、ウガリットは商業都市として裕福でした。

ウガリットは莫大な富を税として納めることで、ヒッタイトから貿易の安全を保障してもらう、いわば従属国(ヴァッサル国家)の立場にありました。

この関係は紀元前14世紀ごろに始まったとされています。

聖書と真逆の姿を語る粘土版

聖書を読んだことがある方ならご存知かもしれませんが、聖書の描くカナン人というのは、邪悪な神バアルを崇める批判すべき集団として登場します。

ところが、1928年一人の農民が畑を耕していて偶然、古い墓を掘り当てました。

翌1929年から本格的な発掘調査が始まり、ウガリットの遺跡(ラス・シャムラ)から多数の粘土版が発見されます。

そこには、カナン人自身が自分たちの言葉で書き記した神話が刻まれていました。聖書の視点でしかわからなかったことが、当事者の声として3000年以上の時を超えて発見されたのです。

発掘された粘土版にはシュメール語、アッカド語、ヒッタイト語、フルリ語、エジプト文字、そして地元のウガリット語など、実に8つの言語と5つの文字体系が使われていました。

商人や外交官、神官たちが行き交うこの街で、メソポタミアやフルリの神話構造が輸入され、独自の簡略なアルファベット「ウガリット文字」によって再構築されていったのです。まさに多言語、多文化のブレンド工場でした。

こうして出来上がった物語が、地中海を行き来するギリシャ商人たちの船に乗り、エーゲ海へと拡散していったと考えられます。

嵐の神バアルの物語

ウガリットで語られた神話の中心は、嵐と慈雨の神「バアル」を主人公とする叙事詩です。

当時のカナン地方は乾季と雨季の差が激しく、干ばつはそのまま死を意味していました。だからこそ神話も「恵みの雨と農耕のサイクル」と強く結びついていたのです。

主要な登場人物を紹介します。

エル — 神々の父である最高神

バアル — 嵐・雷・恵みの雨の神。この神話の主人公

ヤム — 海と混沌の神

ロタン — ヤムに仕える(あるいはヤムの化身とも言われる)七つの頭を持つ海の大蛇。旧約聖書に登場する怪物「リヴァイアサン」の原型とされる

アナト — 愛と戦争を司る、好戦的な女神 モト(モート) — 死と不毛、冥界を司る神

物語は大きく三つのエピソードで構成されています。

海の神ヤムとの決戦:暴虐なヤムを、鍛冶の神コタル・ワ・ハシスが作った魔法の棍棒で打ち倒し、世界の秩序を立て直す。

宮殿の建設と開かれた窓:天に自分の宮殿を建てたバアルは、当初はヤムの再来を恐れて窓を作らなかった。だが後に、雷鳴とともに窓を開け放ち、地上に恵みの雷雨を降らせる。

死の神モトとの死闘と復活:モトに呑み込まれてバアルが死ぬと、地上は乾季(不毛)になる。しかし愛する女神アナトがモトを切り刻んで解体・収穫し、バアルが復活することで、再び雨季(実り)が訪れる。

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ウガリットとヒッタイト、同盟か従属か

ここで、ヒッタイトとウガリット歴史的にはどちらが先にさかえたのか、という疑問を持つ方もいるかもしれません。結論から言うと、この二つは紀元前1400年から前1200年ごろ(青銅器時代後期)に、ほぼ同時代に並び立っていた関係と言っていいでしょう。

先ほど触れた通り、両国の関係はパトロンとクライアントに近いものでした。

ヒッタイトは軍事国家 ウガリットは商業都市。ウガリットは莫大な資産を貿易の安全を保障してもらう税としてヒッタイトに納めることにで、自国の港の安全を守っていたようです。

突然の滅亡ーー「前1200年のカタストロフ」

そんなウガリットにも、終わりの日がやってきます。

紀元前1200年頃(諸説あり、紀元前1190年前後とする研究もあります)、地中海全域を「前1200年のカタストロフ」と呼ばれる大崩壊が襲いました。

正体不明の集団「海の民」の襲撃を受け、ヒッタイト帝国もウガリットも、ほぼ同時に滅亡してしまうのです。

ウガリットの遺跡からは、陥落直前に最後の王アンムラピが、キプロス(アラシヤ)の王に宛てて送ろうとしたとみられる、焼き固められた粘土板の手紙が見つかっています。

「父よ、敵の船がここへやって来ました。私の街は焼かれ、彼らは国内で悪逆の限りを尽くしました……我が軍と戦車はすべてヒッタイトの地におり、船はすべてルッカの地にあります。国は自らを守るしかありません」

自国の主力の軍も船も、遠く離れた場所に出払っていたところを突かれた——この手紙は、ウガリットが陥落した瞬間の無防備さを、生々しく伝えています。

皮肉なことに、街を焼いた火が粘土板を焼き固めて保存してしまったおかげで、3000年以上の時を超えて、私たちはこの神話のハブの姿を知ることができるようになったのです。

バアル神話とギリシャ神話、共通点の一覧

先ほど紹介したウガリットの神々を振り返ると、ギリシャ神話との間に、以下のような共通点が指摘されています。あくまで研究者の間で比較・議論されている対応関係であり、確定した系譜ではないことは断っておきます。

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さらに深掘りするなら、「嵐の神が王権を得て、海・蛇・死と戦う」という神話的パターンは、古代西アジアに広く存在していました。前回扱ったヒッタイト(現在のトルコ)の神話もその一つです。この地域全体に共通するパターンについては、また改めて掘り下げたいと思います。

次回予告

今回、たびたび名前が出てきた「メソポタミア」。次はいよいよ、その源流であるメソポタミア神話――マルドゥクと原初の海の女神ティアマトが戦う『エヌマ・エリシュ』――にまで遡り、バアル対ヤムの戦いとの関係を見ていきたいと思います。

出典・参考情報源

  • ウガリットの地理的位置、ヒッタイトとの従属(ヴァッサル)関係、8つの言語と5つの文字体系、紀元前1928年の偶然の発見と1929年の粘土板発掘、紀元前1190年ごろの滅亡: Ugarit — World History Encyclopedia
  • ウガリット遺跡の発掘開始年(1929年)、都市の最盛期(前1450〜前1200年ごろ): Ugarit — Britannica
  • 最後の王アンムラピからアラシヤ(キプロス)王への手紙(RS 18.147)の英訳、「軍と戦車はヒッタイトに、船はルッカに」という記述、滅亡年(前1192〜前1190年ごろ): Ammurapi — Wikipedia
  • バアル・サイクルの3大エピソード(ヤムとの決戦、宮殿建設、モトとの死闘と復活)の構成: Baal Cycle — Wikipedia
  • ロタンとヤムの関係、ギリシャ神話のテュポーン・オピオン・ポセイドン(オケアノス)との比較: Yam (god) — New World Encyclopedia
  • エル/バアル/ヤムとギリシャのウラノス・クロノス・ゼウス・ポセイドンらとの体系的な比較研究: Carolina López-Ruiz, “Greek and Canaanite Mythologies: Zeus, Baal, and their Rivals,” Religion Compass 8/1 (2014), 1–10. Wiley Online Library
  • 西アジア起源のモチーフがギリシャ神話・詩に与えた影響全般の基本文献: M.L. West, The East Face of Helicon: West Asiatic Elements in Greek Poetry and Myth, Oxford University Press, 1997.
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