クリスマス商戦に間に合わせるため、たった5週間半
1982年、映画『E.T.』は世界中で記録的な大ヒットを記録していた。この波に乗り遅れまいと、当時のゲーム業界最大手アタリ社(Atari)は、大急ぎである計画を立てる——クリスマス商戦に合わせて、E.T.を題材にしたAtari 2600用ゲームを発売するのだ。
問題は、映画会社との権利交渉がまとまったのが1982年7月末だったこと。クリスマスに間に合わせるには、開発期間はわずか5週間半しか残されていなかった。当時アタリの通常のゲーム開発には平均5か月かかっていたというから、この日程がどれほど無茶だったかがわかる。
白羽の矢が立ったのは、社内で『レイダース 失われたアーク〈聖櫃〉』のゲーム化を手がけていたプログラマー、ハワード・スコット・ワーショウ。彼はこの超短期プロジェクトを引き受け、たった一人でゲームの設計からプログラミングまでをやり遂げた。
発売直後は、実はそこそこ売れていた
意外に思われるかもしれないが、『E.T.』は発売直後、決して「即座に見放された」わけではなかった。1982年12月から1983年1月にかけて、業界誌『ビルボード』のビデオゲーム売上トップ15にランクインし、1982年末までに260万本以上を売り上げている。
しかし遊んだプレイヤーたちの反応は芳しくなかった。E.T.が繰り返し落とし穴に落ちてしまう理不尽な操作性や、目的の分かりにくいゲーム展開に不満が噴出。口コミで評判が急速に悪化していった。
本当の失敗の原因は「作りすぎ」だった
アタリは映画の世界的ヒットを見て、途方もない需要を見込んでいた。生産されたカートリッジの数は、なんと約400万本。ところが実際の販売は伸び悩み、小売店は大幅な値引きを繰り返すことになる。
当時アタリの社長だったレイ・カッサーの証言によれば、生産された約400万本のうち、実に350万本が売れ残りや返品としてアタリに戻ってきたという。つまり「誰も買わなかった」のではなく、「見込みが外れて作りすぎた分が、返品という形で大量に会社に押し寄せた」というのが実態に近い。映画の高額なライセンス料と合わせて、この過剰在庫はアタリの経営を大きく圧迫し、1983年から84年にかけての巨額損失の一因となった。
なお、しばしば「E.T.が1983年のゲーム業界大崩壊(アタリショック)を引き起こした」と語られるが、これは正確ではない。E.T.発売以前から、業界全体はすでに供給過剰による構造的な不況に突入していた。E.T.はアタリという一企業に大打撃を与えた象徴的な事件ではあるが、業界崩壊そのものの唯一の原因ではない、というのが今日の研究者たちの見方だ。
実は「秘密」ではなかった——1983年9月、地元紙もニューヨーク・タイムズも報じていた
ここが今回の話の面白いところだ。「大量の売れ残りゲームが、夜中にこっそり砂漠に埋められた」という都市伝説は、後年になって生まれたわけではない。
1983年9月、ニューメキシコ州アラモゴード近郊の埋立地に、アタリの製品が大量に搬入され、コンクリートで覆われるという出来事が実際に起きた。しかもこれは地元紙アラモゴード・デイリー・ニュースが「大量のアタリのゲームが埋められた」「市からアタリへ:『E.T.』のゴミは持ち帰れ」と当時の見出しで報じ、同年9月28日にはニューヨーク・タイムズも「アタリの部品が投棄される」という記事で取り上げている。つまり、この出来事自体はリアルタイムで新聞沙汰になっていたのだ。
ではなぜ「都市伝説」として語り継がれることになったのか。それは、埋められた中身の詳細——本当にE.T.だけなのか、量はどれくらいなのか——について、アタリの関係者自身が食い違う説明をしていたためだ。加えて、廃棄物の上からコンクリートを流し込むという念の入れようが、「よほど都合の悪いものを隠したかったのでは」という憶測を呼んだ。この”はっきりしない部分”が、30年の歳月をかけて「何百万本ものE.T.が人知れず秘密裏に埋められた」という、実態よりドラマチックな伝説へと育っていった。
2014年4月26日、ついに掘り返される

都市伝説に決着をつけたのは、意外にもゲーム業界ではなく、あるドキュメンタリー制作チームだった。2013年、映像制作会社フューエル・エンターテインメントとライトボックスが、この埋立地の発掘許可をアラモゴード市から取得。監督ザック・ペンのもと、ドキュメンタリー『Atari: Game Over』の撮影として発掘プロジェクトが動き出す。
発掘作業が実施されたのは2014年4月26日。当初は深さ18フィート(約5.5メートル)まで掘る予定だったが、実際には30フィート(約9メートル)まで掘り下げることになった。しかし市が許可した発掘時間はわずか1日。作業はおよそ3時間で打ち切られ、翌27日には現場が閉鎖された。
限られた時間の中で回収されたカートリッジは、約1,300本強。この地に埋められたと推定される総数(約70万〜80万本規模)からすればごく一部だが、間違いなくE.T.のカートリッジが、そこには存在していた。都市伝説は、事実だった。
同時に興味深い発見もあった。掘り出されたのはE.T.だけではなく、『センチピード』『パックマン』など他のアタリ製ゲームも混ざっていたのだ。つまり「E.T.専用の墓場」という伝説のイメージは、やや誇張されていたことも同時に判明した。
ゴミ捨て場のカートリッジが、スミソニアン博物館へ
発掘されたカートリッジのその後も興味深い。約700本はアラモゴード市によってオークションに出品され、収益は市に。100本はドキュメンタリー制作会社に。そして残る約500本は、なんとスミソニアン協会や地元ニューメキシコの博物館、さらにはヘンリー・フォード博物館(ミシガン州)に寄贈され、正式な収蔵品となった。
「世界最悪」とまで呼ばれたゲームの成れの果てが、ゴミ捨て場から一転、歴史的コレクションの一部として展示されることになったのだ。ドキュメンタリー『Atari: Game Over』は2014年11月にXbox向けに配信され、翌2015年にはNetflixでも視聴可能になった。
都市伝説の「本当だった部分」と「誇張されていた部分」
今回の話が面白いのは、単純な「都市伝説→実は本当でした」という一直線の話ではない点だ。整理するとこうなる。
本当だった部分:大量のアタリ製ゲームカートリッジが、1983年秋にニューメキシコの埋立地に投棄され、コンクリートで覆われたこと。そこにE.T.のカートリッジが確かに含まれていたこと。
誇張・不正確だった部分:「秘密裏に」というイメージ(実際は当時の新聞で報道済みだった)、「E.T.だけが埋められた」というイメージ(実際は他の複数タイトルが混在)、そして「数百万本」という規模感(実際に埋められた総数は数十万本規模とされ、E.T.単独の生産数400万本とは異なる)。
さらに近年では、ゲーム史研究者やメディアの間で「E.T.は本当にそこまで『史上最悪』と呼ばれるべきゲームだったのか」を再検証する動きも出ている。5週間半という異常な開発期間を考えれば、むしろ健闘していたという再評価の声もあるのだ。
一度埋められて風化した”事実”が、伝言ゲームのように誇張されて都市伝説化し、31年後に文字どおり掘り返されることで、誇張された部分と本当だった部分がようやく仕分けされた——ゲームのバグ・都市伝説シリーズの1本目として、これほど象徴的な話もない。
出典・参考情報源
- 開発経緯(5週間半での開発、権利交渉の経緯): Wikipedia: E.T. the Extra-Terrestrial (video game)
- 発売直後の売上(ビルボード誌トップ15入り、260万本販売): 同上
- 生産数(約400万本)と返品数(約350万本、レイ・カッサー証言): 同上(出典:Connie Bruck, Master of the Game: Steve Ross and the Creation of Time Warner, 1995年)
- 1983年当時の報道(埋立て・投棄が同時代に報じられていた事実): The New York Times “Atari Parts Are Dumped” (1983年9月28日)、アラモゴード・デイリー・ニュース紙(1983年9月25日・27日付、Wikipedia経由で確認)
- 2014年の発掘の詳細(日程、深さ、回収数、その後の分配): Wikipedia: Atari: Game Over、BBC News「Desert dig uncovers huge Atari games dump」(2014年4月28日)、Game Informer報道(2014年4月26日)
- スミソニアン協会への寄贈: Smithsonian Institution公式ブログ(2014年12月15日)
- 「史上最悪」評価への再検証: Polygon「E.T. wasn’t the worst game in history」(2014年6月3日)、PCMag「Debunking the Myth of the Buried Atari E.T. Cartridges」


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