童歌の謎(1) 「後ろの正面、だあれ」——たった一行が生んだ、十以上の”真相”

夜の輪の中心で目隠しをした子供を、他の子供たちが取り囲むシルエット。「かごめかごめ」のイメージ わらべ歌

目隠しをした子は、知らない

想像してほしい。

夕暮れの校庭か、どこかの路地裏。一人の子が目隠しをして中央にしゃがみ込む。周りを他の子たちが手をつないで輪になり、ぐるぐる回りながらこう歌う。

「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ」

歌が終わった瞬間、輪は止まる。目隠しの子は、自分の真後ろに誰が立っているかを当てなければならない。ただそれだけの、日本中どこでも遊ばれてきた単純な遊び歌だ。

ところがこの七行にも満たない歌詞をめぐって、民俗学者、国語学者、郷土史家、そして数えきれないオカルトライターたちが、100年近く議論を続けている。

ある人は「妊婦の恨みの歌」だと言い、ある人は「遊女の悲哀」だと言い、ある人は「徳川埋蔵金の地図」だとまで言う。

一体なぜ、これほど短い童謡が、これほど多くの”真相”を生み出したのか。今回はその謎の入り口に立ってみる。

実は「鶴と亀」は、後から入り込んだ

まず押さえておきたい衝撃の事実がある。今わたしたちが歌っている「鶴と亀が滑った」「後ろの正面だあれ」という表現は、実は歌の”古株”ではない。

現存する最古級の記録は、文政3年(1820年)頃に編纂されたとされる浅草の修験僧・行智による童謡集『竹堂随筆』だ。

そこに書き留められた歌詞はこうだった。

「鶴」でも「亀」でもない。「つるつるつっぺぇつた」——これは動物の鶴ではなく、何かがするすると引っ張られる様子を表す擬態語だったと考えられている。

歌舞伎『戻橋背御摂』(1813年初演)や浄瑠璃『月花茲友鳥』(1823年初演)に取り込まれた子供の遊び歌でも、同様に「つるつるつっぱいた」「つるつるつるつっぱつた」という表現で、鍋の底が抜ける話に続いていく。

つまり江戸期のバージョンは、動物の鶴亀が出てくる神秘的な歌ではなく、鍋の底が抜けてどうしよう、という素朴な言葉遊びだった可能性が高い。

Wikipediaの解説でも明記されている通り、「鶴と亀」「後ろの正面」という表現は明治末期以前の文献では一切確認されていない。

今わたしたちが知っている、あの意味深な歌詞は、比較的新しい時代に付け加わったものなのだ。だとすれば、「鶴と亀」を古代の暗号や陰謀の証拠として読み解こうとする説の多くは、そもそも土台から揺らいでいることになる。

全国に広まったのは、昭和初期のことだった

もう一つ意外な事実がある。「かごめかごめ」に地域ごとの発祥地があるとすれば、それは古代でも江戸時代でもなく、実は昭和初期だ。

各地方でバラバラの歌詞が伝わっていたところ、昭和初期に山中直治という人物が採集・記録した千葉県野田市の歌詞が、教科書や童謡集を通じて全国に広まり、今の「標準形」になったとされている。野田市が発祥地と言われるゆえんはここにあり、東武野田線・清水公園駅の前には「かごめの唄の碑」まで建てられている。

つまり、わたしたちが「昔から伝わる謎めいた古歌」だと思っているものの正体は、意外にも百年に満たない歴史の産物である可能性が高い。

湧き上がる十以上の”真相”

歌詞の起源が新しいとわかっても、都市伝説の勢いは止まらない。ここからは代表的な説を、駆け足で紹介する。

これだけ並べると壮観だが、共通しているのは「提唱者不明」の説がほとんどだということ。誰かが根拠のある研究として発表したというより、テレビ番組やインターネットの中で自然発生的に広まり、定着していったものが大半だ。

「大阪では放送できない」も、根拠のない俗説

もう一つ触れておきたいのが、「かごめかごめは被差別部落を扱った歌とされ、東京では放送できるが大阪では放送できない」という、かつて一部で語られた噂だ。これについてもWikipediaは明確に「根拠のない俗説であり、現在そのようなことはない」と記している。都市伝説が都市伝説を呼び、事実と切り離されたまま独り歩きしてしまう典型例と言えるだろう。

では、学術的にはどう見られているのか

民俗学者の柳田國男は、「目隠し鬼」などと同じく、この遊びはもともと大人の宗教的儀礼を子供が真似たものだとする見方を示している。「かごめ」については、「囲め」が訛ったもの、あるいはオニに向かって「屈め、屈め」と呼びかけたものが変化した、という比較的地味な解釈を挙げている。

興味深いのは、京都に伝わる「京の大仏つぁん」という遊び歌の存在だ。「かごめかごめ」とまったく同じ遊び方(中央に座ったオニが自分の真後ろの人物を当てる)をするこの歌は、寛政10年(1798年)に落雷で焼失した方広寺大仏と、奇跡的に類焼を免れた三十三間堂を歌ったものだとされている。同じ遊び方をする歌が複数存在し、それぞれ別の由来を持っている——この事実だけでも、「かごめかごめ」の意味を一つに決めつけることがいかに難しいかがわかる。

なぜここまで解釈が割れるのか

歌詞そのものが持つ多義性こそが、この歌の一番の”仕掛け”なのかもしれない。

「かごめ」は「囲め」にも「籠女」にも「籠目」にも読める。

「いついつ出やる」は「いつ出て行くのか」とも「いつ出会うのか」とも取れる。

「夜明けの晩」は文法的に矛盾した表現で、聞く者に違和感を抱かせる。

「後ろの正面」も「後ろなのに正面とはどういうことか」という矛盾を含んでいる。

この掛詞と矛盾だらけの構造こそが、後世の人々の「類推したくなる欲求」を刺激し続けてきたと言えそうだ。答えが一つに定まらないからこそ、時代ごとに新しい”真相”が塗り重ねられていく。陰謀論も、埋蔵金伝説も、日ユ同祖論も、すべてはこの歌詞の隙間に住み着いた物語なのだ。

次回予告

次回は、川越か、それとも小田原か——発祥の地をめぐって今も論争が続く「通りゃんせ」を取り上げる。「行きはよいよい、帰りはこわい」の不穏な一節に隠された、七五三と関所、二つの読み解き方とは。

出典・参考情報源

※歌詞の異同・成立年代についてはWikipedia記載の一次資料(竹堂随筆、戻橋背御摂、月花茲友鳥、幼稚遊昔雛形、俚謡集拾遺)の引用を主に参照。都市伝説各説は「提唱者不明」のものが多く、史料的根拠のない俗説として明示した。

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