舞台は日本へ
創世神話シリーズ、第6回です。
前回はエジプトでした。アトゥムが一人で自分自身を生み、その子孫であるゲブとヌトは、天と地として抱き合ったまま生まれました。二人は父シューの手で無理やり引き離されました。
今回の舞台は日本です。
日本神話にも、よく似た「引き離す」場面が出てきます。ただし、今回引き離されるのは天と地ではありません。
引き離されるのは、一組の夫婦です。しかも今回は、「引き離す」側と「引き離される」側が、前回とは逆転します。
誘う男、誘う女――イザナギとイザナミ
日本神話の国生みの主役は、二柱の夫婦神です。
男神はイザナギ、女神はイザナミといいます。
どちらの名前にも「誘う(いざなう)」という言葉が入っています。イザナギは「誘う男」、イザナミは「誘う女」という意味だとされます。
二人がお互いを誘い合って夫婦になる、その名前からしてすでに物語の予告になっているわけです。
この神話は、8世紀に編まれた『古事記』(712年頃)と『日本書紀』(720年)という二つの史書に記録されています。両書は成立目的も文体も異なり、内容が食い違う部分も少なくありません。
今回は主に『古事記』の記述を軸に紹介しますが、要所では『日本書紀』側の違いにも触れます。

天の浮橋と、天沼矛
イザナギとイザナミは、まだ何もできあがっていない世界に立っていました。
二人が立っていた場所は「天の浮橋」と呼ばれる、天と地をつなぐ橋のような場所でした。
そこから二人は、宝石で飾られた「天沼矛」という矛を、どろどろとした下界の海に差し入れ、かき混ぜます。矛を引き上げると、先端から滴り落ちたしずくが固まり、一つの島になりました。
この島は「オノゴロ島」と呼ばれます。世界最初の陸地です。
島に建てた御殿、柱をめぐる儀式
イザナギとイザナミは、オノゴロ島に降り立ちます。
そこに御殿を建て、中央に「天の御柱」という大きな柱を立てました。
二人は、この柱の周りをそれぞれ逆方向から回り、出会ったところで夫婦の契りを結ぶという儀式を行うことにします。エジプトのアトゥムが一人で自分自身から子を生んだのとは対照的に、日本神話では最初から男女二柱による結婚という形が取られている点が特徴的です。
ユーラシア大陸各地の伝統的な結婚儀礼(ゾロアスター教やヒンドゥー教など、インド・ヨーロッパ語族に連なる文化圏の婚姻儀礼)には構造上の類似があります。イザナギとイザナミは、世界の中心に立てた「天の御柱」を左右反対方向から回り、出会ったところで言葉を交わして結ばれます。柱は天と地を繋ぐ「世界軸(アクシス・ムンディ)」を意味すると言われています。一方、ゾロアスター教の結婚式では、聖なる「火」や、ふたりを取り囲む布・紐などの円環状のシンボルが神聖な中心軸となります。また、ヒンドゥー教の結婚式(サプタパディー)では、中央に焚いた聖なる火(アグニ)の周りを新郎新婦が回ります。
女神が先に声をかけた結果
儀式の当日、柱の周りを回った二人は出会います。
先に声をかけたのはイザナミでした。「なんて素敵な殿方でしょう」。
続いてイザナギも「なんて素敵な女性だろう」と応じ、二人は結ばれます。
ところが、生まれてきた子供は「ヒルコ」と呼ばれる、骨のない不完全な姿の子でした。二人はこの子を葦の舟に乗せて海に流してしまいます。何が悪かったのか分からないまま、二人は天の神々に相談することにしました。
なお、このヒルコは後の時代、漁業と商売の神様「えびす様」と同一視されるようになります。神話の中では失敗作として海に流された子が、長い年月を経て人々に福をもたらす神として再解釈されていく。この変化そのものも、日本の信仰史の面白いところです。
ゾロアスター教の神話(『ブンダヒシュン』など)にも、人類の始祖であるマシュヤとマシュヤーナの存在や、世界の正義(アシャ)に基づく正しく厳格な手順が重視される思想があります。
やり直した結婚、そして国が生まれた
天の神々は占いを行い、原因を告げます。
女性が先に声をかけたことが良くなかった、というのです。
そこで二人は儀式をやり直します。今度はイザナギが先に「なんて素敵な女性だろう」と声をかけ、イザナミが後から応じました。すると、次々と立派な子が生まれるようになります。
共通点: 「正しい手順・順番を踏んで境界を越える(巡る)」ことで初めて、混沌から正統な秩序や生命が誕生するという発想が一致しています。り直しに関しても類似があります。
この場面、現代の視点で読むと男女の役割を固定的に描いているように感じる読者もいるかもしれません。あくまで8世紀の史書に記された、当時の価値観を反映した物語として紹介します。
ゾロアスター教(古代ペルシャ)やヴェーダ(古代インド)に見られる結婚儀礼や始祖神話(兄妹・姉弟神話)は、ユーラシア大陸の東西へ広がり、シルクロードを経由して中国や日本の神話様式(中国の伏羲・女媧が柱を回る神話など)にも影響を与えたという説(比較神話学)があります。今回はテーマが逸れてしまうためこの内容は掘り下げません。
大八島――生まれた島々
やり直した結婚によって、イザナミは次々と島を生んでいきます。
『古事記』が伝える順序では、淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、そして本州(大倭豊秋津島)と続きます。この八つの島は「大八島」と呼ばれ、日本列島の中心部分にあたります。
その後も、小豆島や周防大島など、いくつかの島がさらに生まれたと伝えられます。国土そのものが、神の出産によって形作られていく。これが「国生み」と呼ばれる所以です。
ちなみに、大八島とは別に「淡島(あわしま)」という小さな存在も生まれたと伝えられます。淡島は姿が定まらなかったためか、ヒルコと同様に正式な子の数には含められませんでした。淡路島(大八島の一番目)とは別の、もう一つの「数えられなかった子」がいたわけです。
島だけでなく、神々も生まれた
島を生み終えたイザナギとイザナミは、続けて多くの神々を生み出します。
海の神オオワタツミ、木の神ククノチ、山の神オオヤマツミなど、自然界のあらゆる要素を司る神々が次々と誕生しました。これは「神生み」と呼ばれる段階です。
国土を生む物語から、その国土を構成する自然そのものを生む物語へ。エジプト神話でアトゥムの子孫たちが空気・湿気・大地・天空という世界の要素を体現していたのと、発想としてよく似ています。
火の神の誕生と、イザナミの死
神生みの終盤、イザナミは火の神カグツチを出産します。
ところが、火の神を産んだことでイザナミは全身に大やけどを負ってしまいます。苦しみながらもイザナミはなお神々を産み続けますが、最終的に力尽きて命を落としてしまいます。
エジプトのヌトが天空の女神として永遠に存在し続けたのとは対照的に、日本神話の母なる女神は、出産の代償として死を迎えるのです。
怒りに任せて生まれた神々
イザナミの死を嘆き悲しんだイザナギは、怒りに任せて剣(十握剣)を抜き、我が子である火の神カグツチを斬り殺してしまいます。
この時、カグツチの血や、切り刻まれた体の各部分からも、さらに新しい神々が生まれたと伝えられます。『古事記』によれば、剣についた血からは、後に武神・雷神として重要な役割を担うタケミカヅチが誕生しました(『日本書紀』の別の伝では、同じ血から系譜をたどってフツヌシという剣の神が生まれたとも語られますが、これは古事記には出てこない、日本書紀側の伝承です)。切断された体からは、山を司る神々が八柱生まれたとされます。
我が子を殺すという行為からさえも、新しい神々が生まれてしまう。日本神話の「生み」のエネルギーの強さがうかがえる場面です。
妻を追って、黄泉の国へ
それでも悲しみが癒えないイザナギは、ついに妻を取り戻そうと決意します。
向かった先は「黄泉の国」。死者たちが住む、地下の世界です。
「見てはいけません」という約束
黄泉の国の入り口で、イザナギはイザナミと再会します。
イザナギは「一緒に地上へ戻ろう、私たちの国づくりはまだ終わっていない」と呼びかけます。
イザナミは答えます。「もっと早く来てくれればよかったのに。私はもう、黄泉の国の食べ物を口にしてしまいました」。
それでもイザナミは、黄泉の国の神に相談してみると約束します。ただし一つだけ条件がありました。「相談している間、決して私の姿を見ないでください」。
破られた約束と、腐れた姿
イザナギは、なかなか戻ってこない妻を待ちきれなくなります。
とうとう、自分の櫛の歯を折って火をともし、暗闇の中でイザナミの姿を覗き見てしまいます。
そこにいたのは、すでに腐り果て、体中に蛆がわき、雷神たちをまとった変わり果てたイザナミの姿でした。恐怖にかられたイザナギは、その場から逃げ出します。
約束を破られ、辱められたと感じたイザナミは激怒し、黄泉の国の醜い女神たち(黄泉醜女)を差し向けてイザナギを追わせます。
黄泉醜女たちの追跡と、三つの桃
逃げるイザナギは、髪飾りを投げ捨てます。それは山ぶどうに変わり、追っ手はそれを食べるのに気を取られます。
続いて櫛を投げると、今度は筍に変わりました。追っ手はまたもそれに気を取られます。
しかしイザナミは、今度は雷神たちと1500の黄泉の軍勢を差し向けてきます。地上との境界までたどり着いたイザナギは、そこに生えていた三つの桃の実を投げつけ、ようやく追っ手を撃退することに成功します。イザナギはこの桃に感謝し、「これからも人々が苦しむときは、私を助けたように助けてやってほしい」と言って、オオカムヅミノミコトという名を与えたと伝えられます。
黄泉比良坂の大岩と、一日に千人・千五百人
地上への出口である「黄泉比良坂」までたどり着いたイザナギは、大きな岩でその道をふさいでしまいます。
岩を挟んで、イザナミが最後に姿を現します。

イザナミは言い放ちます。「あなたがこんな仕打ちをするなら、私はあなたの国の人間を、一日に千人絞め殺してやります」。
イザナギも負けじと答えます。「それならば私は、一日に千五百の産屋(うぶや)を建てて、人を生ませよう」。
この一日千人と千五百人という数字の差が、人がやがて死にながらも、人口が増え続けてきた理由を説明する神話的な理屈になっている、と読む研究者もいます。この誓いの後、イザナミは「黄泉津大神」、つまり黄泉の国を治める大いなる女神として、死の世界に君臨することになります。
なぜ後戻りできなくなったのか
前回の予告で触れた問い、「なぜ死者の国を訪ねた神は、後戻りできなくなってしまうのか」に戻りましょう。
理由は、イザナミの台詞の中にあります。「私はもう、黄泉の国の食べ物を口にしてしまいました」。
これは「黄泉戸喫(よもつへぐい)」と呼ばれるモチーフです。死者の国の食べ物を口にすると、その国の一員になってしまい、二度と生者の世界には戻れなくなる、という考え方です。
オルフェウス神話との奇妙な類似
実はこの「黄泉下り」の物語、比較神話学でしばしば話題になる、ある有名な神話と構造がよく似ています。
ギリシャ神話のオルフェウスです。
亡くなった妻エウリュディケを取り戻すため、竪琴の名手オルフェウスは冥界に下ります。冥界の王からは「地上に出るまで、決して後ろを振り返って妻を見てはいけない」と条件を出されますが、オルフェウスは出口の直前で我慢できずに振り返ってしまい、妻を永遠に失います。
死んだ妻(または夫)を取り戻しに冥界へ下る。
「見るな」という禁忌が課される。
その禁忌を破ってしまい、結局は永遠に相手を失う。
この三点が、イザナギ・イザナミの物語とほぼ一致しています。互いに独立して生まれた神話なのか、何らかの形で影響関係があるのか、それとも人類に共通する死生観が似た物語を生み出しやすいだけなのか。
この点は今のところ結論が出ていません。「見るな(振り返るな)」という禁忌モチーフ自体は、世界中の民話・神話に広く見られる型として、比較神話学・民俗学の分類(モチーフ・インデックス)にも登録されています。
穢れを洗い流す禊、三貴子の誕生
なんとか地上へ生還したイザナギですが、死者の国に触れたことで、体は「穢れ」にまみれていました。
そこでイザナギは、川で体を洗い清める「禊」を行います。
身につけていた衣服や装身具を脱ぎ捨てるたびに、そこからも次々と神々が生まれました。杖から、帯から、袋から、衣から、袴から、冠から、腕輪から。十二柱ほどの神々が、こうして生まれたと伝えられます。
そして最後に、顔を洗ったときに、特に重要な三柱の神が誕生します。
左目から、右目から、鼻から
左目を洗うと、太陽の女神アマテラスが。右目を洗うと、月の神ツクヨミが。鼻を洗うと、荒々しい性格の神スサノオが、それぞれ生まれました。
イザナギはこの三柱を「三貴子」と呼び、特別にかわいがります。そしてそれぞれに治めるべき領域を言い渡します。アマテラスには高天原(天上の世界)、ツクヨミには夜の食国、スサノオには海原です。
この三貴子、とりわけアマテラスとスサノオは、この後の日本神話全体を動かしていく主役になっていきます。今回はイザナギ・イザナミの物語までにとどめますが、二人が生んだこの三柱の物語は、また別の機会にじっくり扱いたいと思います。
「引き離す」のではなく、「引き離される」
ここまでの物語を振り返ると、前回のエジプト神話との対比がはっきり見えてきます。
エジプトでは、風の神シューが天と地を「引き離す」側でした。力によって空間を切り開き、世界に秩序をもたらす神話です。
日本の黄泉下りでは、イザナギは死者の国から「引き離される」側です。約束を破ったことで妻の怒りを買い、二度と会えない形で永遠に切り離されてしまいます。
同じ「引き離し」というモチーフでも、能動と受動、そして得るものと失うものが、正反対になっているのが興味深いところです。
比較神話学では、日本のこの神話を「夫婦創造型」に分類することがあります。一人の神が自分自身から世界を生んだエジプト(自己発生型)とは異なり、男女二柱の神が協力し、時には対立しながら世界と国土を作り上げていく型です。次回扱うマオリ神話も、この「夫婦(親子)による天地創造」という枠組みに近い構造を持っています。
次回予告
次回、第7回の舞台はニュージーランドのマオリ神話です。
天空の神ランギと大地の女神パパ、この二柱の神も、エジプトのゲブとヌトのようにぴったりと抱き合ったまま生まれ、その子供たちによって引き離されることになります。
同じ「天地の分離」というモチーフが、エジプトとマオリでどう似ていて、どう違うのか。比べながら読んでいただけると、さらに面白くなるはずです。お楽しみに。


出典・参考情報源
- World History Encyclopedia, “Izanami and Izanagi”
- World History Encyclopedia, “Yomi”
- World History Encyclopedia, “Kagutsuchi”
- Wikipedia, “Kuniumi”
- Wikipedia, “Izanami”
- Wikipedia, “Izanagi”
- Wikipedia, “Shikome”
- Encyclopedia.com, “Izanagi and Izanami”
- 島根県観光連盟, “To the Underworld (Yomi-no-kuni) and Back”(kankou-shimane.com)
- japanesemythology.wordpress.com, “The peach as a kami and Mother goddess, and symbol of fertility and immortality”
- Japanese Wiki Corpus, “Izanami”
- Mythlok, “Curse of the Thousand Deaths: Izanami’s Revenge That Brought Death to Humanity”
- Encyclopedia.com, “Axis Mundi”

