- 舞台はエジプトへ
- 何もなかった頃――ヌンという原初の海
- 一人で生まれた神、アトゥム
- 最初のカップルを作った、不思議な方法
- 「創造」という言葉の意味
- シューとテフヌト――空気と湿気の兄妹
- ゲブとヌト――抱き合ったままの大地と天
- なぜ引き離されたのか
- 父シューが天を持ち上げた日
- ラーの呪い――「一年のどの日にも生んではならない」
- 知恵の神トトの賭け
- 五日間で生まれた五柱の神
- ギリシャ人が書いた「エジプトの伝承」をどう読むか
- こうして「九柱の神々」が揃った――ヘリオポリスのエネアド
- 実はエジプトには創造神話が何種類もある
- 別バージョン1:ヘルモポリスの「八柱の神」と宇宙卵
- 別バージョン2:メンフィスの神プタハ――「言葉」で世界を作った?
- プタハ神話は、いつ書かれたのか
- 一つの文明の中に、複数の創造神話が同居する理由
- 次回予告
- 出典・参考情報源
舞台はエジプトへ
創世神話シリーズ、第5回です。
前回はギリシャ神話でした。カオスから生まれたガイアとウラノス。二人の子であるクロノスが、父を鎌で打ち倒しました。世界の秩序は、親子の暴力によって作られていく物語でした。
今回の舞台はエジプトです。
ナイル川のほとりで生まれたこの神話には、前回までとは大きく違う点があります。世界の始まりに、争いがほとんど出てきません。
エジプトの創造神話の主役は、たった一柱の神。
しかもその神は、誰の力も借りず、自分一人で自分自身を生み出します。
なぜ一人で生まれる必要があったのか。そしてその後、世界はどうやって「今の形」になっていったのか。今回は、この一柱の神を出発点に見ていきます。
何もなかった頃――ヌンという原初の海
エジプト神話にも、世界が始まる前の「何もない状態」があります。
これを「ヌン」と呼びます。
ヌンは、光もなく、形もなく、方向すらない、無限に広がる暗い水です。原初の水です。
神ではありますが、性格や意志を持った人格神というより、「創造がまだ起きていない状態」そのものを指す言葉に近いとされています。
重要なのは、この水がただの「空間」ではないという点です。ヌンはあらゆる可能性を秘めた、いわば創造の材料であり母胎です。
世界は、このヌンの中から生まれてきます。
一人で生まれた神、アトゥム
このヌンの中から、最初の神が自分の力だけで姿を現します。
その名はアトゥムといいます。
アトゥムという名前は、エジプト語で「完成する」「終わらせる」という意味の動詞に由来すると考えられています。すべてを内側に含んだ、完結した存在、という意味合いです。
アトゥムは、ヌンの水面に盛り上がった小さな丘の上に現れたとされます。この丘は「ベンベン」と呼ばれ、古代エジプト人にとって特別な意味を持つ場所でした。実際、太陽信仰の中心地ヘリオポリスの神殿には、このベンベンを象徴する石(のちにオベリスクやピラミッドの原型になったとも言われます)が祀られていました。
つまりアトゥムの物語は、実在する聖地の由来譚でもあったわけです。
最初のカップルを作った、不思議な方法
さて、世界にはまだアトゥムしかいません。
一人ぼっちのアトゥムは、自分の子供を作ることにします。ただし、相手になる女神はまだ存在しません。
そこでアトゥムは、自分自身の体だけを使って子供を生み出します。
伝わっているバージョンはいくつかあります。ある版では、自らの精を放つ(自慰行為による)ことで子を生んだとされます。別の版では、口から唾を吐き出すことで子を生んだとされます。
一見奇妙に思えるかもしれませんが、これは古代エジプトの創造観をよく表したエピソードです。「無」から「有」を生み出すには、既存の男女のペアという発想そのものが使えません。
だからこそ、性別を超えた自己完結的な創造が必要だった、と考えられます。
なお、この場面でアトゥムが使った「手」を、女性的な原理の象徴と解釈する研究者もいます。エジプト語で「手」を表す単語が文法上、女性名詞だからです。
アトゥム自身の中に、すでに男性性と女性性の両方が内包されていた、という読み方です。
「創造」という言葉の意味
エジプトの創造神話は、実は一つではありません。都市ごとに、それぞれの神官団が独自の創造神話を伝えていました。今回中心的に扱うのは、太陽信仰の中心地ヘリオポリスで伝えられていたバージョンです。
なぜヘリオポリス版を軸にするかというと、後の時代に最も広く定着し、ファラオの葬送文書などにも繰り返し引用された、いわば「本流」に近いバージョンだからです。
ただし、これがエジプト全土で唯一の「正史」だったわけではないという点は、後半で改めて触れます。
シューとテフヌト――空気と湿気の兄妹
アトゥムが自分の力だけで生んだのは、二柱の神でした。
シューとテフヌトです。
シューは「空気」「乾いた風」を司る男神、テフヌトは「湿気」「水分」を司る女神とされます。この二柱は兄妹であり、同時に夫婦にもなります。
シューとテフヌトの誕生によって、世界には初めて「空間」らしきものが生まれます。空気があるということは、そこに「隙間」が存在するということだからです。
ゲブとヌト――抱き合ったままの大地と天
シューとテフヌトの間には、さらに二柱の子供が生まれます。
大地の神ゲブと、天空の女神ヌトです。
ゲブは地面そのもの、ヌトは空そのものを表す神とされます。ヌトの体は星々を散りばめた夜空として描かれることが多く、彼女が体を大きくアーチのように反らせて大地を覆っている姿は、エジプト美術の中でも特に有名な図像の一つです。
ところが、ここで問題が起きます。
ゲブとヌトは生まれてすぐ、強く抱き合ったまま離れなくなってしまうのです。大地と天が、隙間なくぴったりとくっついた状態です。
なぜ引き離されたのか
大地と天が密着したままでは、その間に何も存在できません。光も、風も、生き物も、入り込む余地がないのです。
伝承によれば、太陽神ラーは、この状態を苦々しく思っていたとされます。
理由については史料によって説明が異なるのですが、共通しているのは「世界の秩序のために、二人は引き離されなければならなかった」という点です。
ゲブとヌトを永遠に抱き合わせたままにしておくわけにはいかない。そこでラーは、二人の父である風の神シューに、分離を命じます。
なお、この場面の主語は史料によって「ラー」だったり「アトゥム」だったりします。これは矛盾というより、ラーとアトゥムがのちに「アトゥム・ラー」として同一視され、しばしば区別なく語られるようになったためです。
誰が命じたかよりも、「シューが実際に引き離した」という筋書き自体は各バージョンに共通しています。
父シューが天を持ち上げた日
シューは、自分の子供であるゲブとヌトの間に割って入ります。
両足でゲブ(大地)を踏みしめ、両腕を高く掲げてヌト(天)を持ち上げる。エジプトの図像には、この瞬間を描いたものが数多く残っています。地面に横たわるゲブ、その上に立ち両腕を伸ばすシュー、そしてシューの手のひらの上でアーチ状に体を反らせるヌト、という構図です。

こうして、大地と天の間に、初めて「空間」が生まれました。
この空間にこそ、のちに太陽が昇り、風が吹き、生き物たちが暮らすことになります。私たちが今見ている「空」は、エジプト神話的に言えば、父に引き裂かれた天空の女神の姿そのもの、ということになります。
ラーの呪い――「一年のどの日にも生んではならない」
ゲブとヌトの物語には、もう一つ続きがあります。
二人が引き離されたとき、ヌトはすでに子供を身ごもっていました。これを知ったラーは、さらに厳しい呪いをかけます。
「ヌトは、一年三百六十日、どの日にも子供を産んではならない」。
古代エジプトの暦は一年を三百六十日としていました。つまりこれは、実質的に「永遠に子供を産めない」に等しい呪いでした。
知恵の神トトの賭け
途方に暮れるヌトを救ったのは、知恵と学問を司る神トトでした。
トトは月の神のもとへ行き、賭け事を持ちかけます。賭けの対象は、月が持つ光そのものでした。
トトは勝負に勝ち続け、月の光を少しずつ勝ち取っていきます。そして、勝ち取った光をかき集め、新たに「五日間」を作り出しました。
この五日間は、一年三百六十日のどこにも属さない、暦の外側の特別な日でした。ラーの呪いは「一年のどの日にも産んではならない」というものです。しかし、暦の外にある五日間なら、呪いの対象にはなりません。理屈の上では、ラーの言葉を破ってはいないことになります。
五日間で生まれた五柱の神
こうして生まれた五日間、ヌトは次々と子供を出産します。
一日目にオシリス、二日目にホルス(のちの「大ホルス」)、三日目にセト、四日目にイシス、五日目にネフティスが生まれた、と伝えられています。
この五柱は、のちのエジプト神話で極めて重要な役割を果たすことになります。特にオシリスとイシス、そしてオシリスを殺す弟セトをめぐる物語は、エジプト神話全体の中でも屈指の名場面として知られています(この物語はまた別の機会に扱いたいと思います)。
なお、このエピソードの出典には少し特殊な事情があります。
トトの賭け事とヌトの出産の詳しい顛末は、実はエジプト人自身が書いた文書ではなく、紀元後1〜2世紀のギリシャ人著述家プルタルコスが書いた『イシスとオシリスについて』という書物によって、まとまった形で伝わっているのです。
エジプトの神々の話を、ギリシャ人が数百年後に書き残した。この構図、前回の「ヒッタイト神話とギリシャ神話の類似」の回とも通じるものがあります。神話は、しばしば異なる文化を渡り歩きながら記録されていくのです。
ギリシャ人が書いた「エジプトの伝承」をどう読むか
ただし、この点には注意も必要です。プルタルコスはエジプトの信仰そのものの記録者ではなく、ギリシャ・ローマの読者に向けて解説を書いたギリシャ人です。研究者の中には、彼の記述に独自の解釈や脚色が混じっている可能性を指摘する声もあります。
実際、この賭け事のエピソード自体は、現存するエジプト側の一次史料にはほとんど見当たりません。「エジプトで長く語り継がれてきた伝承をプルタルコスがまとめた」のか、「プルタルコス自身がかなり再構成した」のか、その境目は史料だけからはっきり判断するのが難しい、という点は踏まえておきたいところです。
こうして「九柱の神々」が揃った――ヘリオポリスのエネアド
アトゥムから始まり、シューとテフヌト、ゲブとヌト、そしてオシリス・ホルス(大ホルス)・セト・イシス・ネフティスまで。
この系譜に連なる神々を、ヘリオポリスの「エネアド」(九柱の神々、という意味のギリシャ語由来の呼び名)と呼びます。
整理すると、次のようになります。
アトゥム(自己創造)。その子がシューとテフヌト。その子がゲブとヌト。その子がオシリス・イシス・セト・ネフティス(と大ホルス)。
たった一柱の自己創造神から始まり、四世代を経て九柱の神々が出そろう。これが、ヘリオポリスで伝えられていた「世界の成り立ち」の物語です。
前回までのメソポタミアやギリシャの神話と比べると、争いの少なさが際立ちます。エジプト版の主役たちは、殺し合うのではなく、むしろ「離れ離れにされる」ことで世界を形作っていきます。
実はエジプトには創造神話が何種類もある
ここまでヘリオポリス版のアトゥム神話を見てきました。
しかし最初に触れた通り、これはエジプトにおける唯一の創造神話ではありません。
古代エジプトには統一された「正典」の神話体系は存在しませんでした。
都市ごとに神官団があり、それぞれが自分たちの土地の神を世界の中心に据えた、独自の創造神話を発展させていたのです。ヘリオポリス版は、後の時代に広く影響力を持つようになった有力な一つのバージョンにすぎません。
代表的な別バージョンを、二つ紹介します。
別バージョン1:ヘルモポリスの「八柱の神」と宇宙卵
エジプト中部の都市ヘルモポリスでは、まったく違う創造神話が伝えられていました。
この版の主役は、「オグドアド」と呼ばれる八柱の原初神です。四組の男女のペアからなり、それぞれ「水」(ヌンとナウネト)、「無限」(ヘフとハウヘト)、「暗闇」(ケクとカウケト)、「隠れたもの」(アメンとアマウネト)といった、創造前の混沌をあらわす抽象的な概念を体現しています。
ヘルモポリス版では、この混沌の海から一つの卵が生まれます。ガチョウ、あるいはトキとされる聖なる鳥がこの卵を産み落とした、とも語られます。そしてこの卵から、太陽神が誕生し、最初の丘の上に昇った、とされます。
「原初の丘」と「卵からの誕生」という組み合わせは、ヘリオポリス版の「ベンベンの丘」のイメージとも重なりつつ、微妙に異なる語り口を持っています。
別バージョン2:メンフィスの神プタハ――「言葉」で世界を作った?
もう一つ、興味深いバージョンがあります。
都市メンフィスで信仰されていた神プタハを主役とする創造神話です。この神話は「シャバカ・ストーン」と呼ばれる石碑に刻まれた文章によって伝わっています。紀元前8世紀、第25王朝の時代に作られた石碑です。
この神話でのプタハは、他の神々のように体を使って何かを生み出すのではありません。プタハは「心臓(思考)」と「舌(言葉)」の力だけで世界を創造した、とされています。心の中で思い描いたものを、言葉にして発する。それだけで、神々や町や秩序が生まれていく、という筋書きです。
これは、これまでのシリーズで扱ってきた話と、思わぬところでつながります。第3回で扱った、聖書『創世記』の「言葉による創造」(「光あれ」と言われて、光があった)と、驚くほど似た発想だからです。
プタハ神話は、いつ書かれたのか
プタハの物語がいつ最初に作られたのかについては、実は学界でも意見が分かれています。石碑自体は紀元前8世紀のものですが、文中の言葉遣いが非常に古めかしいことから、かつては「はるか昔、古王国時代(紀元前2600年前後)に作られた文章を、後の時代に書き写したものだ」と考えられていました。
しかし近年の研究では、この「古めかしさ」自体が意図的な演出であり、実際の成立はもっと後代――早くても新王国時代のラメセス朝以降ではないか、という見方が有力になっています。つまり、「本物の古文書」なのか「古く見せかけた新しい文書」なのか、年代測定そのものが論争の的になっているのです。
創世記の成立年代論争(第3回で扱いました)と、構造がよく似た論争がここにもある。歴史の古い文書ほど、正確な成立年代を突き止めるのは難しいという、比較神話学に共通する悩みがうかがえます。
一つの文明の中に、複数の創造神話が同居する理由
ヘリオポリスのアトゥム、ヘルモポリスのオグドアド、メンフィスのプタハ。
同じエジプトという一つの文明の中に、少なくとも三つの異なる創造神話が存在していたことになります。しかも、これらは互いに「間違っている」として排除し合うのではなく、長い歴史の中でゆるやかに併存し、影響を与え合っていました。
これは、このシリーズが最初から追いかけている問い、「なぜ世界中で似たような創造神話が生まれるのか」を考える上で、実は見逃せないヒントです。
似た神話が生まれる理由を考える前に、そもそも「一つの文明の中でさえ、創造の物語は一つに定まらない」という事実があるからです。文化と文化の間で神話が似る現象を考える前段階として、一つの文化の内部でどれだけ多様な語りが育つのかを知っておく必要があります。
このテーマは、シリーズ最終回で改めて深掘りする予定です。
参考画像


次回予告
次回、第6回の舞台は日本です。
イザナギとイザナミ、二柱の夫婦神による「国生み」の物語を取り上げます。今回のシューとゲブ・ヌトのように、エジプト神話にも「引き離す」というモチーフがありました。日本神話には、逆に「引き離される」――黄泉の国への下り、という有名な場面があります。
なぜ死者の国を訪ねた神は、後戻りできなくなってしまうのか。お楽しみに。
出典・参考情報源
- Britannica, “Great Ennead of Heliopolis”
- Britannica, “Ogdoad of Hermopolis”
- Wikipedia, “Atum”
- Wikipedia, “Geb”
- Wikipedia, “Shabaka Stone”
- World History Encyclopedia, “Ancient Egyptian Mythology”
- Glencairn Museum, “Ancient Egyptian Creation Myths: From Watery Chaos to Cosmic Egg”(2021)
- egyptfuntours.com, “Geb & Nut Mythology: Separation of Earth and Sky in Creation”
- sacred-texts.com(プルタルコス『イシスとオシリスについて』英訳版の抜粋を含む再話)

