――メソポタミア文明の中でも、一番古い時代を担った”シュメール人”の話。
イラク南部、ユーフラテス川のほとりの砂の下。
考古学者たちがスコップで土を掘り進めていくと、小さな泥レンガの祠(ほこら)が出てきた。たった3メートル四方。真ん中に供物台があるだけの、ささやかな祈りの場所だ。
驚くのはここからだった。その祠を調査していくと、掘っても掘っても、同じ場所に神殿が積み重なっている。
その数はなんと18層。一番古い層は、紀元前5400年頃――いまから7000年以上前のものだ。
文字は、まだどこにもない。誰も何も書き残していない。それなのに、同じ神さまに、同じ場所で、3400年という途方もない歳月をかけて、祈りが捧げられ続けていた(一番古い祠から、最後にジッグラトが建つまでの年月だ)。
これは、メソポタミア南部の都市エリドゥで実際に見つかった話だ。
「メソポタミア文明」は、学校で習う四大文明のひとつとして、聞いたことがある人が多いと思う。その一番古い時代、川のほとりで最初に都市を作り、最初に文字を生み出した人たちが「シュメール人」だ。エジプトやインダスと並ぶ、あの有名な文明の”始まりの部分”を担っていた人たち、と考えてもらえばいい。
そして、この「文字より前に存在した、揺るがない何か」こそが、これから何回かに分けてお届けするシュメール神話シリーズの、一番の土台になる。

文字がなくても、世界はすでに整理されていた
シュメール神話には「メ」という言葉が出てくる。
これが、かなり厄介な言葉だ。翻訳しようとすると、いつも困る。「神的な力」「宇宙の秩序原理」「文化の設計図」――どう訳しても、しっくりこない。
都市には都市の「メ」がある。王権には王権の「メ」がある。神殿、恋愛、戦争、音楽、書記の技術。あらゆるものに、それぞれの「メ」があるとされた。
平たく言うと「メ」は、世界のあらゆる物事にあらかじめ用意された、目に見えない取扱説明書のようなものだ。都市がどうあるべきか。王がどう振る舞うべきか。それを定めた、目次のような存在。
面白いのはここからだ。研究者たちは、この「メ」という観念が、文字ができるよりずっと前から存在していた可能性が高いと考えている。理由は言葉そのものにある。シュメール語の中で「メ」は極端に短く、語源をたどるのが難しい単語なのだ。これは、その言語の一番古い層に属する語彙によく見られる特徴だという。
つまり、こういうことだ。人類は文字を発明するよりも先に、すでに世界を分類し、意味づける枠組みを持っていた。文字は、その枠組みを新しく作ったのではない。すでにあったものを、ようやく書き写しただけだった。
証拠その1:同じ場所で祈り続けた3400年
「そんなの、想像の話でしょう?」と思うかもしれない。文字がない時代の話なら、証明のしようがないのでは、と。
ところが、ちゃんと物的証拠がある。それが、冒頭で紹介したエリドゥ神殿の地層だ。
1946年から49年にかけて行われた発掘調査で、エリドゥの神殿跡から18層に及ぶ神殿の重なりが確認された。年代ごとに整理すると、こうなる。
| 時期(推定) | 地層 | わかったこと |
|---|---|---|
| 紀元前5400年頃 | 最古層(第XVII〜XVIII層) | 3m四方ほどの小さな泥レンガの祠。供物台がひとつあるだけ |
| 紀元前4500年頃 | 中間層(第VIII〜XI層) | 中央の広間と両側の側室からなる「三廊式」の間取りが登場。これが後のシュメール神殿の基本形とまったく同じ |
| ウルク期に近い層 | 後期層(第VI〜VII層) | 供物台に魚の骨が積もっていた。エリドゥの神エンキ(水と知恵の神)信仰の原型と考えられている |
| 紀元前2112〜前2004年頃 | 最終形態 | ウル第三王朝期。同じ地点に、ジッグラト(階段状の聖塔)が建てられる |

小さな泥の祠から、巨大なジッグラトまで。3400年という長い時間をかけて、同じ場所に、おそらく同じ性格の神さまへの祈りが積み重ねられていった。
文字も記録もない時代に、これほど長く信仰の中身がぶれずに伝わるには、決まった形の唱え言葉や物語が絶対に必要になる。地層そのものが、口伝えの伝承が確かに存在したことを物語っているのだ。
証拠その2:都市ごとに、決まった神さまがいた
もうひとつ、分かりやすい証拠がある。シュメールの都市には、それぞれ専属の守護神が決まっていた。
| 都市 | 守護神 |
|---|---|
| エリドゥ | エンキ(水と知恵の神) |
| ウルク | アン / イナンナ |
| ニップル | エンリル |
| ウル | ナンナ(月神) |
| ラガシュ | ニンギルス |

「どの土地に、どの神さまがいるか」。この組み合わせは、文字ができる前の時代、つまりウバイド期の段階で、すでに主要な神殿都市が成立していたという考古学的な事実とぴったり重なっている。
土地と神さまの結びつきは、文字で契約されたものではない。長い年月をかけて、土地の記憶として、口伝えで固定されていったものなのだ。これもまた、ひとつの「メ」と言っていいかもしれない。
文字は、どうやって「メ」に追いついたのか
では、口伝えだった「メ」の世界は、どうやって文字に変わっていったのか。研究者たちは、おおよそ3つの段階を想定している。
- 記号化(紀元前3300年頃〜) 円筒印章という、転がすと絵が連続して現れるハンコが登場。神獣や儀礼の様子が、絵として視覚化されはじめる。有名な「ワルカの壺」は、この時代の代表作だ。
- リスト化(紀元前3100年頃〜) 原楔形文字によって、神さまの名前を並べた「神名リスト」が作られる。まだ物語ではないが、「世界を整理する体系」を初めて書き留める作業が始まった。
- 定型句化(紀元前2900〜前2600年頃) 文字がついに「音」を表せるようになり、シュメール語の文法が書けるようになる。ここで初めて、口伝えの讃歌がそのまま文字化された。「ケシュ神殿讃歌」は、この到達点にあたる作品だ。
面白いのは、絵から文字までの流れが、いきなり物語を書くところから始まっていないことだ。まず神さまの名前を並べる。次に儀礼の言葉を固定する。物語らしい物語が文字になるのは、実はかなり後になってからのことだった。
言っていいこと、言いすぎなこと
「ウバイド期の人たちは、そのままシュメール人だった」と言い切ってしまうのは、実は学術的には言いすぎになる。
ウバイド期には文字がない。だから、当時の人が何語を話していたのかは、直接には分からない。シュメール語では語源をたどれない都市名(エリドゥ、ウルクなど)があることから、シュメール語よりも古い、別の言語があった可能性も議論されているが、決着はついていない。
- シュメール文明は、ウバイド文化という土台の上に成立した
- 神殿の伝統、都市と神さまの結びつきには、強い連続性がある
- ただし、言葉や民族がそのまま同じだったとは言い切れない
宗教の骨格は、間違いなく続いている。話していた言葉が何だったのかは、今もはっきりしない。この線引きを守りながら、これから紹介していくシュメール神話を楽しんでもらえたらと思う。
もう一度、あの祠に戻ろう
冒頭のエリドゥの祠を思い出してほしい。3メートル四方の、ささやかな泥レンガの祈りの場所。
そこに祈っていた人たちは、文字を持っていなかった。記録も、契約書も、教科書もなかった。それでも彼らは、都市とは何か、神とは何か、王とは何かという「目次」を、すでに頭の中に持っていた。
文字が生まれたのは、その目次を作るためではない。すでにあった目次を、ようやく書き写すためだった。
次回からは、その「目次」の中身――イナンナ讃歌、エヌマ・エリシュ、そしてギルガメシュ叙事詩(標準版)を、実際に開いていこうと思う。
出典: エリドゥ遺跡発掘調査(1946〜49年、イラク考古庁)、メトロポリタン美術館解説、Encyclopedia Britannica、A. Sołtysiakの論文、ソーキルド・ヤコブセン、W. G. ランバート、ジェレミー・ブラック、グラハム・カニンガムらの研究を参照

