シュメール神話の最高神の一柱、女神イナンナ(アッカド名 イシュタル)が死の世界へ赴き、そして生還する神話です。
シュメールの神話とは連載小説のように全て繋がっているものではなく、それぞれ独立した話です。また、現存しているものは古バビロニア時代の書記生たちが、学習用に書き写したものだと言われています。
まずは全体のあらすじを見ていきましょう。
冥界行きの決意と従者への遺言
天空の聖所や地上の都市ウルクなどで絶大な権力を握っていた、愛と美、そして戦いの女神イナンナは、冥界へ行くことを決意します。
当時のメソポタミアにおいて、冥界は「一度入ったら二度と生きて帰ることはできない。塵を食べ、泥をすする暗黒の国」と恐れられていました。
私が3日経っても、5日経っても、冥界から戻らなかったら・・・神々の会議場(エンリルの神殿)に行き、私のために嘆きの歌を歌いなさい。ナンナの神殿(父の神殿)エンキの神殿(知恵の神の神殿)を周り、『どうかイナンナが、冥界で死なせませんように』と神々に助けを求めて欲しい
7つの門 冥界の掟
イナンナは冥界の最初の門に到着すると、門番であるネティにこう告げました。
「私は、冥界の姉エレシュキガルの夫グガルアンナの葬儀に出席するためにやってきた。」
冥界の女王エレシュキガルにとって、妹イナンナの来訪は「自分の領域を乗っ取りに来た侵略行為」に他なりませんでした。
7つの門を全て開き、あの女を迎え入れよ。ただし、冥界の掟に従い、彼女が持つ全ての力を一つづつ奪っていきなさい
第一の門 シュグッラ(王冠・「野の冠」) 頭に被っていた王権の象徴 天の女王としての絶対的な権威、支配、王としての最高位の権力
第二の門 首を飾る小さなラピスラズリの数珠 ラピスラズリは非常に神聖視されていた青い宝石で、神々との交信や高貴な身分の象徴とされていた
第三の門 胸を飾る二連の数珠 富と美の象徴であり、天界の美しさを表していた
第四の門 胸当て(トグルピン・「来い、男よ、来い」) 愛と性の女神としての魅力を象徴するもの。これが奪われることで、生殖や恋愛を惹きつける魅力を封じられます
第五の門 金の指輪 豊かさや神としての魔力や力強さの象徴
第六の門 ラピスラズリの計量竿と計量線 秩序をもって世界を正しく測り、統治する権能の象徴とされる
第七の門 シャラ(貴婦人の衣) 全身を包み込む、高貴な身分の者だけが着る美しいドレスです。これを剥ぎ取られることで、彼女は貴婦人としての衣装をすべて失い、衣服をまとわない姿になっていきます
全ての力を奪われ、完全な裸、無力な状態でイナンナは冥界の宮殿の奥へと引き摺り出されます。
吊し上げ 地上の異変
エレシュキガルの前に引き出されたイナンナに向かって、冥界の女王は、「死の眼差し」をむけ、呪いの言葉を浴びせます。その瞬間、イナンナの命は消え青ざめた「肉の塊」へと変わり果ててしまいます。
エレシュキガルはイナンナの体を釘で壁に引っ掛けて吊し上げました。

月神ナンナやエンリル神は、「イナンナがあんな場所に行くのが悪い」と冷たく見放します。しかし、知恵の神エンキは「ああ、あの愚かな娘が・・・」と嘆きつつ、イナンナを助けるための奇策を思い付きます。
クルガルラ ガラトゥル
エンキは自分の爪の垢から二人の奇妙な存在 クルガルラとガラトゥルを作り出しました。彼らには性別がありません。人でも神でもない存在なので冥界の呪いが効かない特別な存在です。
そして、エンキは彼らに「命のパン」と「命の水」を持たせ、指示を与えます。
ハエのようにこっそり冥界の門をすり抜けろ。冥界の女王エレシュキガルは産みの苦しみに苦しんでいる。彼女が『ああ、痛い、苦しい』と言ったら、お前たちは『女王様、お労しい。その苦しみを私たちも一緒に分け合います。』と、その呻き声に共感して慰めるのだ。女王が機嫌を良くしたら、褒美として『壁に吊された肉の塊をくれ、と頼むんだ』
計画はうまくいきました。腹痛と産みの苦しみに悶えていたエレシュキガルは、自分に寄り添うこの使者たちに心を許し「お礼に欲しいものはなんでもやろう」と言います。使者たちは命令通り「壁に吊された肉の塊をください」と要求しました。
そして、彼らはその体に、エンキから授かった「命の水」を60回、「命のパン」を60回振りかけました。
イナンナは息を吹き返し、見事に生き返りました。
冥界の代償
生き返ったイナンナが地上へ戻ろうとした時、冥界の番人たちが立ち塞がり、冥界の絶対的な掟を告げました。
冥界に入った者が地上に戻るためには、代わりの身代わりをここに置いていかなければならない
イナンナが地上で誰を自分の身代わりとして差し出すのかを見届けるために、悪霊(ガラ霊)がお供として憑いて見届けることになります。
地上に戻ったイナンナが見たものは、夫である王のドゥムジ(タムズ)が王座にふんぞり帰っている姿でした。ドゥムジは妻のイナンナが死んだと聞いて、自分の権力が強まったことに酔いしれて、最高の衣装に身を包み黄金の王座に座っていたのです。本来であれば、一番嘆き悲しんでいるはずの夫の姿を見てイナンナは激怒します。
私が冥界で苦しんでいるというのに、この男はなんと傲慢な こいつこそ私の身代わりに相応しい
イナンナはドゥムジに「死の眼差し」を向け、悪霊たちに彼を捉えさせました。ドゥムジは必死に逃げ回ります。
ドゥムジの闘争劇
イナンナの死の眼差しを受けたドゥムジは、冥界の恐ろしい悪霊たちに追われることとなります。
悪霊たちは執拗に彼を追いかけます。追い詰められたドゥムジは妻イナンナの兄、全てを照らす公正な太陽神ウトゥの元へ駆け込みました。ドゥムジは涙を流し助けを懇願します。
ウトゥはドゥムジを不憫に思い、姿をガゼル(または蛇)に変えて悪霊の目をくらませて逃がしました。ドゥムジはあちこちに身を隠し、何度も姿を変えて必死に逃げ回ります。
妹ゲシュティナンナ
ドゥムジの妹ゲシュティナンナは夢の分析や葡萄の栽培を司る賢い神です。
兄を自分の牧屋に匿って助けようとします。悪霊たちがやってきて「ドゥムジはどこだ」と激しく拷問しますが兄を売ることは頑なに断りました。
しかし、最終的には仲間の裏切りによってドゥムジの隠れ家が知られ、かれは冥界へと連れ去られてしまいました。
ゲシュティナンナは、泥にまみれ、髪を振り乱し、地に伏して大号泣し、その悲しみは天と地を揺るがしました。
命の半分の共有
失意のどん底でゲシュティナンナは、イナンナと神々に向かい懇願します。
どうか、兄を解放してください。私が兄に変わって命の半分を明快に捧げますから
兄を救いたいと身代わりを申し出たゲシュティナンナの悲嘆に触れ、神々の心が動きます。
そして、「永遠のサイクル」の裁定が下ります。
ドゥムジが冥界にいる時期 秋と冬 この期間は妹のゲシュティナンナが身代わりとして冥界に入り、ドゥムジは地上で解放されます。
逆に、春と夏はドゥムジは冥界へ下り、ゲシュティナンナが地上に戻ってきます。
このサイクルによって、ゲシュティナンナが地上に戻るときには自然は息を吹き返し、豊かな実りを生み出しました。
季節の移り変わりを説明する神話
この話は農業神話の原型と言われています。「大切な存在が一時的に地下や死の世界に奪われ、その不在と帰還が季節の変化を生む」という共通の構造を持った有名な神話が世界中にあります。
例えば、ギリシャ神話 ペルセポネとハーデス、日本のオオナムチとスサノオ、エジプトのオシリスの死と復活などです。
持ち物剥奪の深い意味
イナンナの身につけていたものが奪われ全てを失ってしまう演出から、古代メソポタミアの人々の世界観や心理を探ることができます。
死生観
古代メソポタミアでは、「人は死ねば、身分や財産、名誉のすべてを剥ぎ取られて、何も持たずに暗い冥界へ行かなくてはならない」という共通の死生観がありました。
あの絶対的な天の女王イナンナでさえ、冥界の掟の前ではすべての装飾品(地上での権力やプライド)を奪われ、丸裸にされたのです。
この神話は、「死という絶対的な平等の前では、いかなる権力者も例外ではない」という厳粛な真理を表現しています。
また、人が真に生まれ変わるためには、まずは自分にしがみついている「社会的地位、プライド、執着、など全てを手放し、一度無になる必要があるという、心理的、霊的変容を描いているとする説もあります。
冥界下りで奪われた「メ」
イナンナが奪われたものはアクセサリーとして象徴的に描かれていますが、これらは単なるファッションアイテムではなく、イナンナが身に纏っていた7つの重要な「メ」そのものでした。
イナンナは地上都市ウルクの守護神です。そして、世界を統べる絶大な「メ」を自分の体に宿して冥界へ乗り込みました。
以前お話しした、イナンナとエンキでは、イナンナがエンキからたくさんのメをうけとりました ,
シュメールの神話はそれぞれ独立した話であるのに、なぜここであの装飾品たちがメだと言えるのか、その点は三つの背景があると言われています。
1、原典に「メ」と明記されいる
実は、「イナンナの冥界下り」のシュメール語の原典(原文)を確認すると、彼女が冥界へ出発する際や七つの門で奪われていくアイテムについて、単なる「首飾りや衣服」ではなく、「七つのメ(シュメール語:me 7)」として明確に表現されています。
つまり、別々の粘土板であっても、シュメールの神話体系の中で「イナンナが持っているあの装飾品=彼女の統べる神力(メ)」という設定が共通して共有されていたことが、テキストの言葉自体から証明されています。
2、神話のモザイク性
粘土版自体は独立したものであって、連続小説ではないが、同じ神の連続した側面として描かれている。
3、学術的解釈
現代のシュメール学や神話学の研究者(サミュエル・ノア・クレーマーなど)は、個別の粘土板をバラバラの独立したお話としてだけでなく、「一つの文化圏で同じ神を主人公に作られた一連のモジュール(部品)」として分析します。
- 『イナンナとエンキ』が「権力の獲得と文明の拡大(上昇の物語)」を描いているのに対し、
- 『イナンナの冥界下り』は「獲得した権力や自我の剥奪、そして再生(下りと復活の物語)」を描いています。
この2つを対比させることで、「神々から与えられ(あるいは奪い取った)絶対的な力(メ)であっても、死や自然の摂理の前には一度手放さざるを得ない」というシュメール人の深い人生観・宇宙観が浮かび上がってくるため、学者や解説者の間では関連付けて語られることが多いのです。
出典について
今回の物語は、オックスフォード大学が公開している「シュメール文学電子テキストコーパス(ETCSL)」に収録された「イナンナの冥界下り」の粘土板翻訳、および文化人類学者ダイアン・ウォルカースタインとシュメール学者サミュエル・ノア・クレーマーによる英訳版『Inanna, Queen of Heaven and Earth: Her Stories and Hymns from Sumer』(1983年)をもとに再構成しました。粘土板そのものは断片的で、複数の写本をつなぎ合わせて全体像が復元されているため、細部の解釈には研究者による違いがあることも、あらかじめお断りしておきます。
イナンナが冥界の七つの門でひとつずつ奪われていく装飾品の内容や順番についても、写本によって細部の記述に違いが見られますが、本記事ではETCSL訳に準拠して構成しています。

