アステカの建国神話は、なぜ今もメキシコの国旗の中心にいるのか――「ワシと蛇」に隠れた、都合のいい記憶の選ばれ方

ワシがヘビをくわえてサボテンの上に止まる紋章のイラスト。メキシコ国旗の中心にあるデザインのモチーフ。 アステカ神話

前編では、テノチティトランの建国神話が「勝利のあとに整えられた話」だったことを見た。中編では、アステカ帝国を支えていた人身供犠に、彼らなりの筋の通った理屈があったことを見た。

後編で見ていくのは、その先の話だ。この神話も、この帝国も、1521年にスペインによって滅ぼされている。ところが、その紋章だけは生き残った。それどころか、今のメキシコの国旗のど真ん中に、堂々と描かれている。

なぜ、500年前に滅ぼされた帝国の紋章が、現代の国旗の中心に居座っているのか。しかも調べていくと、あの紋章は、私たちがよく知っている姿とは少し違うものだったかもしれない、ということまで分かってくる。

サボテンの上のワシは、いつからいたのか

まず紋章そのものの正体から見ていく。ワシがサボテン(ノパル)の上に止まる図像自体は、アステカ時代からすでに存在していた。ただしこれは、建国神話のワンシーンとして描かれる以前に、テノチティトランという都市そのものを指し示す”地名の記号”、つまりトポニム(地名文字)だった。

アステカには表音文字はなく、都市や地名は絵文字(グリフ)の組み合わせで表された。「テノチティトラン」を示すときは、決まってワシとサボテンの組み合わせが使われている。貢納の記録や行政文書の中でも、この街の名前が出てくる箇所には必ずこの図像が添えられている。つまりこの組み合わせは、建国神話が物語として語られるより先に、街の名前を示す実務的な記号として定着していたものだ。

実は、ヘビは”後付け”だったかもしれない

ここで、もう一つ興味深い食い違いが出てくる。今の紋章で誰もが真っ先に目を留めるのは、ワシがくわえているヘビだ。ところが、現存する古い資料を集めてみると、このヘビの扱いはかなりバラバラだということが分かる。

スペイン征服から20年ほどのちに作られた行政記録「メンドーサ絵文書」(スペインの副王のために作成されたもの)では、ワシのくちばしは空っぽで、何もくわえていない。テノチティトランの神殿を飾っていた石彫「聖戦のテオカリ」でも、ワシがくわえているのはヘビではなく、”アトル・トラチノリ”と呼ばれる、戦争そのものを意味する別の記号だ。トバル絵文書に至っては、ワシがくわえているのはヘビではなく鳥だと描かれている。

一方で、ヘビが登場する資料もある。占いの書「フェハルバリ=マイヤー絵文書」にはワシがヘビを攻撃する場面が描かれているし、16世紀に書かれた「ラミレス文書」の記述では、守護神ウィツィロポチトリが「サボテンの上に止まり、ヘビを飲み込むワシを探せ」と告げたとされている。

つまり史料同士が、そもそも一致していない。研究者たちが指摘しているのは、植民地時代を通じて定着していった「ワシ(善)がヘビ(悪)を退治する」という解釈が、キリスト教の勧善懲悪の図式に当てはめる形で強調されていった可能性だ。もともとのアステカの宗教観の中では、ヘビは邪悪の象徴と決まっていたわけではない。知恵の神ケツァルコアトルとも結びつく、もっと両義的な存在だった。

だとすると、今メキシコの国旗で誰もが目にしている「ワシと戦うヘビ」というドラマチックな構図は、アステカ本来の神話そのものというより、征服者側の宗教観というフィルターを一度通過したあとの姿だった可能性がある。

羽毛の生えたヘビ神ケツァルコアトルの頭部のクローズアップイラスト。

紋章を担ぎ上げたのは、アステカの子孫ではなかった

もう一つ、意外な事実がある。この紋章を「アステカの記号」から「メキシコという新しい国のシンボル」に押し上げたのは、アステカの血を引く人々が中心だったわけではない、という点だ。

1810年に独立運動が始まったとき、その中心にいたのはミゲル・イダルゴのような聖職者や、”クリオーリョ”と呼ばれる、現地生まれのスペイン系知識人たちだった。血筋の上では、アステカと直接のつながりを持たない人々がほとんどだ。それでも彼らは、スペイン本国と自分たちを区別するための”よそにはない誇り”として、すでに滅んでいたはずのアステカ帝国の記憶を積極的に担ぎ出していく。

その土台は、独立運動より数十年前からすでに準備されていた。イエズス会の宣教師フランシスコ・ハビエル・クラビヘロは、1767年にスペイン領からイエズス会士が追放された際にイタリアへ渡り、そこで1780年から1781年にかけて『メキシコ古代史』を書き上げている。この本は、それまでのスペイン人による征服者目線の記述とは違い、アステカの政治・宗教・文化を体系的にまとめ、先住民の文明を肯定的に描いたものだった。独立よりも前の世代の知識人たちの中に、すでにアステカの過去を誇りとして語り直そうとする動きがあったことになる。

1834年に描かれた寓意画「独立のアレゴリー」では、”独立”を表す女性像がアステカ風の羽根飾りをかぶり、フランス革命由来のフリジア帽を手にしている。その隣には、専制を象徴する人物を追い払うワシの姿が描かれている。ヨーロッパ由来の自由主義の象徴と、アステカへの誇りが、同じ一枚の絵の中に同居しているわけだ。独立運動を率いたアグスティン・デ・イトゥルビデが1821年に掲げた「三保証軍」の旗にも、すでにこのワシの紋章が使われている。紋章は、独立とほぼ同時に、新しい国のシンボルとして採用されたことになる。

国旗に残らなかったもの

紋章のデザインは、その後も少しずつ変わっていく。一部の資料によれば、1917年には、ワシがくわえるヘビが、より古い時代の図像に近いガラガラヘビへと描き直された。現在おなじみの、写実的で立体感のあるデザインに統一されたのは1968年、メキシコシティ・オリンピックの年のことだ。画家フランシスコ・エッペンス・エルゲラの手によるこのデザインは、1984年に制定された「国章・国旗・国歌に関する法律」によって、正式な国のシンボルとして規定されている。

ここで振り返っておきたいのは、中編で見た頭蓋骨の塔(ウエイ・トソンパントリ)や、生贄をめぐる四つの理屈のことだ。帝国の日常にあれほど組み込まれていたはずのその光景は、国旗のどこにも描かれていない。国旗に残ったのは、あくまで「神に導かれてたどり着いた、約束の地」という、前編で見た”すでに整えられたあとの神話”の方だけだ。

滅んだ帝国から何を受け継ぎ、何を切り捨てるかを選んだのは、アステカ人自身ではない。そのあとにこの土地を治めることになった、まったく別の時代の人々だった。

建国神話、生贄、国旗

前編で見た、王が過去の記録を焼かせて新しい神話を作らせた話。中編で見た、征服者が書き残した数字が物理的には成立しない話。そして今回見た、国旗のヘビが後の時代に強調されていったかもしれない話。

三つとも、時代も背景もまったく違う。それでも並べてみると、共通しているのは同じ構造だ。神話や紋章は、生まれた瞬間の姿のまま伝わるわけではない。そのときどきの都合に合わせて、選ばれたり、強調されたり、描き直されたりしながら、今の形にたどり着いている。

メキシコの国旗を見るとき、そこに描かれているのは古代アステカの記憶そのものというより、時代ごとの誰かが「これを残したい」と選び取ってきた記憶の積み重ねなのかもしれない。

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