童歌の謎(2) 「天神様の細道」はどこにあるのか——川越 vs 小田原、決着なき論争

人形の子供たちが両手を掲げて鴱居のシルエットを作り、他の子供たちがくぐり抷ける。「通りゃんせ」のイメージ わらべ歌

くぐり抜けた先に、何があるのか

想像してほしい。

二人の子供が向かい合い、両手を高く掲げて門を作る。

他の子供たちがその下を列になってくぐり抜けていく。

「通りゃんせ 通りゃんせ」の歌が終わった瞬間、門役の子がさっと手を下ろす。

ちょうどそこにいた子がつかまり、次は門役と交代する——かつては日本中の子供たちが遊んできた、ごくありふれた光景だった。

歌詞はこうだ。

「通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神さまの細道じゃ ちっと通して下しゃんせ 御用のないもの通しゃせぬ この子の七つのお祝いに お札を納めにまいります 行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ」

この「天神さまの細道」がどこの神社を指しているのか

——実はこれをめぐって、まったく別の二つの町が、今もそれぞれ「発祥の地」を名乗っている。

川越説:城の中に取り込まれた神社

一つ目の候補地は、埼玉県川越市の三芳野神社だ。

もともとこの神社は、川越城が築かれる前からその場所にあった。

ところが太田道真・道灌親子による築城で、城の中の天神曲輪に取り込まれてしまう。

参拝するには南大手門から入り、天神門をくぐり、細く長い道を通らなければならなかった。しかも一般人がようやく参拝を許されても、帰りには不審者の紛れ込みを防ぐため、持ち物を厳しく調べられたという。

まさに「行きはよいよい、帰りはこわい」だ。現存する社殿は寛永元年(1624年)、川越藩主・酒井忠勝が3代将軍徳川家光の命を受けて造営したもので、今もそのまま残っている。

小田原説:もう一つの天神さま

二つ目の候補地は、神奈川県小田原市。

南町の山角天神社と、国府津の菅原神社が、それぞれ「通りゃんせ」ゆかりの地として名乗りを上げている。

興味深いのは、この二つ、「発祥の碑」を実際に建てているという点だ。

片方が決定的な証拠を持っているわけではなく、両者とも「うちの町が本当の舞台だ」という立場のまま、決着がついていない。

このほかにも、関所を舞台とする説がある。

出立するときは簡単に通れるが、帰るときは厳しい取り調べを受ける——という関所特有の緊張感が歌詞に重なる、という見方だ。

まさかの「名古屋弁」説

2023年、中日新聞の企画記事が、さらにややこしい角度からこの歌に切り込んでいる。

テレビの都市伝説番組で「通りゃんせの歌詞には全国各地の方言が入り交じっている」と紹介されたことをきっかけに、国立国語研究所の研究者に「りゃんせ」という言い回しが名古屋弁由来である可能性を尋ねたところ、「可能性はなくはない」という回答を得たという。

江戸時代の名古屋の遊郭では「やんせ」という言葉が使われていた記録もあり、尾張地方西部の稲沢市付近では今も「通らんせ」という方言が残っているそうだ。

さらに興味深いのは、童謡としての「通りゃんせ」が全国に広まった経緯だ。

1921年(大正10年)に上演された児童歌劇のために、作曲家の本居長世が、当時東京で歌われていた旋律にピアノ伴奏をつけてレコード化したことで、この「本居版」が全国標準として定着し、各地に残っていた土着のバージョンが徐々に廃れていったという説が根強い。

実際、愛知県一宮市には戦後まで「通りゃんせ」の呼びかけすらなく、いきなり「ここはどこの細道じゃ」から始まる独自の歌詞が伝わっていたことが、地元の音楽研究家の調査でわかっている。

つまりこの歌もまた、「かごめかごめ」と同様に、地方ごとにバラバラだったものが、近代のレコード産業によって一つの”標準形”に均されていった歌なのだ。

発祥の地が一つに定まらないのも、むしろ当然のことなのかもしれない。

触れておくべき、もう一つの側面

この歌をめぐっては、「行きはよいよい 帰りはこわい」の一節が、被差別部落へと続く一本道を意味しているのではないか、とする説もある。

ノンフィクション作家・森達也の著書『放送禁止歌』でも取り上げられている論点だが、これはあくまで一つの解釈であり、学術的に確定した結論ではない。

この歌の来歴については他にも神隠しや人柱、埋蔵金伝説と結びつける創作が数多く存在し、小説や映画、ドラマの題材にもなってきた。

いずれも史実として裏付けられたものではないことを踏まえたうえで、そういう読み方も存在する、という程度に留めておきたい。

決め手を欠いたまま、令和を迎える

結局のところ、「通りゃんせ」は決定的な一次史料に基づく発祥地の証明には至っていない。

川越と小田原、それぞれが「発祥の碑」を立て、それぞれの言い分を持ったまま、令和の今も並び立っている。

作者不詳、口承、地域ごとの変化——わらべうたにほぼ共通するこの三条件がそろえば、後世の人間が「うちの町こそが本当の舞台だ」と名乗りを上げたくなるのも、無理はないのかもしれない。

次回予告

次回は、江戸幕府の権威をかさに着た”お茶の行列”の恐怖を歌った童歌「ずいずいずっころばし」を取り上げる。意味不明とされてきた歌詞の奥に隠された、庶民が息を潜めた参勤交代さながらの光景とは。

童歌の謎(1) 「後ろの正面、だあれ」——たった一行が生んだ、十以上の”真相”
目隠しをした子は、知らない想像してほしい。夕暮れの校庭か、どこかの路地裏。一人の子が目隠しをして中央にしゃがみ込む。周りを他の子たちが手をつないで輪になり、ぐるぐる回りながらこう歌う。「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩…

出典・参考情報源

※「行きはよいよい 帰りはこわい」の被差別部落説は森達也『放送禁止歌』(光文社知恵の森文庫、2003年)で言及されている一解釈として紹介し、断定は避けた。

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