童歌の謎(3) 徳川御三家より格上——茶壺の行列という、本物の恐怖

暗い中を進む壺を中心にした行列のシルエット。徳川御三家より格上とされたお茶壺道中のいでたちを表したイメージ わらべ歌

意味不明な歌詞の奥に、実在の制度があった

想像してほしい。

子供たちが輪になり、握った拳の穴に順番に指を差し込んでいく。テンポの良い、どこか呪文めいた歌詞が続く。

意味を尋ねられても、ほとんどの大人が答えられない。ごまみそ、茶壺、ねずみ、井戸

——脈絡のなさそうな単語が次々に現れては消えていく。

だが実はこの歌、単なる言葉遊びの奥に、江戸時代に実在した、庶民が震え上がるほど厳格な制度が横たわっているとされている。

徳川御三家の行列より、格上だった「壺」

その制度の名は「お茶壺道中」、正式には「宇治採茶使」という。

江戸幕府は、京都府宇治市の名産である宇治茶の新茶を将軍家に献上させるため、毎年、茶を詰めた壺を江戸まで運ばせる行列を仕立てた。

立春から100日後に江戸を出発した使者は東海道を下り、宇治の御物茶師・上林家で茶を壺に詰めてもらうと、今度は中山道を経て、土用の2日前(7月末〜8月上旬)には江戸へ戻る。

この壺は屋敷でいったん寝かされ、11月の「口切り」の儀式で初めて開封され、熟成した新茶として振る舞われた。

驚くべきは、この壺を運ぶだけの行列の格式だ。一般の大名行列はもちろん、徳川御三家の大名行列よりも格上として扱われたという。

当時はまだ武士による「切捨御免」が制度として存在していた時代。庶民はこの壺の一行に対して、粗相があってはならないと最大限の注意を払っていたと伝えられている。子供たちは、たとえ親に呼ばれても、行列が通り過ぎるまでは決して外に出てはいけないと厳しく教えられていた。

つまりこの歌は、都市伝説でも陰謀論でもなく、実在した江戸期の権威主義的な制度と、それに怯える庶民の暮らしを、そのまま切り取ったものだと考えられている。

歌詞を一行ずつ、たどってみる

伝統的な解釈では、こんな情景が描かれているとされる。

胡麻味噌をすっていた家の者が、「茶壺道中が来る」という声を聞き、慌てて家の中に入り、戸をピシャリと閉める——これが「茶壺に追われて とっぴんしゃん」。行列が通り過ぎ、ようやく一息つけたのが「抜けたら どんどこしょ」。その間の騒ぎに、俵から出した米をかじっていたねずみが驚いて「ちゅう」と鳴く。喉の渇いた子供たちは井戸に群がり、われ先にと水を飲もうとして、とうとうお茶碗を割ってしまう——これが最後の「井戸のまわりで お茶碗欠いたのだぁれ」だ。

家に閉じこもって息を潜める大人たちをよそに、子供やねずみだけが呑気に立ち回っている、という対比がこの歌の面白さだと言われている。

実は「茶壺」は、江戸時代の文献には出てこない

ここでひとつ、意外な事実がある。この童謡が江戸時代の文献に記録された例は、実は見つかっていない。しかも、古いバージョンの歌詞には、今わたしたちが知っている「茶壺」ではなく、「烏坊(からすぼう)」という言葉で伝わっているものがあるという。

お茶壺道中と結びつけられる根拠は、実のところ「茶壺」という一語だけに支えられている——というのが研究者の指摘だ。

歌の成立時期や由来を、お茶壺道中という具体的な史実だけで断定するのは、思われているよりも危ういのかもしれない。

もう一つの、あまり語られない解釈

国語学者・西沢爽による詳細な論証をもとに、この歌にまったく別の意味を見出す研究もある。

京都産業大学の若井勲夫氏はこれを「半信半疑か、触れられることが好まれないからか、一般には普及していない」解釈だと評している。

その研究によれば、「茶壺」は近世の隠語として女性を意味する言葉として使われた例があり、その元の形とされる「烏坊」も、遊女を指す隠語だったという指摘がある。

学術的な考察として存在はするが、広く知られているわけではなく、あくまで一つの読み方として留めておくべきだろう。

それでも、「意味なんてない」という説も根強い

一方で、この歌詞はそもそも支離滅裂なナンセンスであり、無理に意味を見出そうとすること自体が誤りだ、とする立場も、学術的にれっきとした通説として認識されている。

子供の遊び歌には、大人の歌からリズムの良い部分だけを切り取り、意味よりも語感や調子を優先して作られたものが数多くある。「ずいずいずっころばし」も、その一例にすぎないのかもしれない。

お茶壺道中という実在の制度、性的な隠語という学術的な深読み、そして「そもそも意味はない」という身も蓋もない結論——この三つが並び立ったまま、今日まで歌い継がれてきたのがこの童謡の面白さだと言えるだろう。

次回予告

次回は、わらべうたの中でもとりわけ暗い解釈がつきまとう「花いちもんめ」。「もんめ」という貨幣単位が示す金額の重みと、そこに重ねられてきた人身売買の記憶。史実とどこまで結びつくのか、じっくり検証する。

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出典・参考情報源

※性的な隠語とする解釈は学術文献(西沢爽の論証、若井勲夫による紹介)に基づくものだが、一般には広く普及していない少数説として、詳細な描写は避けて紹介した。

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