世界の大洪水神話 番外編(2) ユミルの血の海 ― 世界は、殺された巨人の亡骸から生まれた

損なわれた巨人の亡骸が横たわり、そこから灼える光の川が流れ出すイラスト 北欧神話

洪水は、水ではなかった

以前世界の大洪水伝説の記事内で、北欧神話の洪水にも一段落だけ触れた。原初の巨人ユミルが殺され、その血が大洪水となり、生き残ったのは巨人ベルゲルミル夫婦だけだった、という話だ。

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今回はインドの「マヌと魚」を掘り下げた番外編1に続き、この北欧の洪水神話を、原典に沿ってじっくり見ていきたい。

世界が生まれる前の巨人

出典は13世紀のアイスランドの学者スノッリ・ストゥルルソンがまとめた『スノッリのエッダ(散文エッダ)』の「ギュルヴィたぶらかし」と、それより古い口承詩を集めた『詩のエッダ』の一篇「ヴァフスルーズニルの言葉」だ。

北欧神話の世界は、何もない虚無「ギンヌンガガプ」から始まる。その南には炎の国ムスペルヘイム、北には氷の国ニヴルヘイムが広がっており、両者がぶつかり合う虚無の中心で、氷が溶け出す。

その滴から、最初の生き物が二つ生まれる。原初の巨人ユミルと、原初の牝牛アウズフムラだ。

ユミルはこの牛の乳を飲んで育ち、牛は塩気を帯びた氷塊を舐めて命をつなぐ。牛が三日間同じ氷塊を舐め続けると、一日目に髪の毛が、二日目に頭が、三日目には全身が現れる。こうして生まれたのが、神々の祖となる最初の神ブーリだ。

一方のユミルは、誰の助けも借りずに子をなす。眠っている間にかいた両脇の汗から男女の巨人が生まれ、片足ともう片方の足が組み合わさって、六つの頭を持つ息子が生まれたという。人間の理屈では説明のつかない繁殖の仕方だが、これが北欧神話における巨人族の起源とされている。

やがてブーリの孫にあたる三兄弟――オーディン、ヴィリ、ヴェーが生まれる。この三兄弟が、次の場面の主役になる。

ユミルの死と、血の大洪水

オーディンとヴィリ、ヴェーは、原初の巨人ユミルを殺す。

文献はその動機を詳しく語らないが、後に続く場面を読むと、これが世界を作るための”資材調達”だったことが分かってくる。

だがユミルの体はあまりに巨大だった。傷口から流れ出した血の量は尋常でなく、みるみるうちに川となり、海のように広がっていく。この血の洪水に、霜の巨人――ユミルの一族――のほとんどが飲み込まれ、溺れ死ぬ。

その中で、ただ一組だけ生き延びた夫婦がいた。巨人ベルゲルミルと、その妻だ。

文献は、彼らが「ルーズル」と呼ばれるものに乗って、この大洪水を逃れたと伝えている。

「ルーズル」論争 ― 舟か、揺りかごか、木箱か

この「ルーズル」が具体的に何を指すのか、実は文献によって書かれ方が違う。ここが今回、一番深掘りしたいところだ。

より古い記録とされる『詩のエッダ』の「ヴァフスルーズニルの言葉」第29節では、ベルゲルミルが「ルーズルの上に横たえられた」とだけ、ごく短く記されている。

この一文だけを読むと、ベルゲルミルはまだ生まれる前の赤ん坊で、ルーズルとは赤ん坊を寝かせる揺りかごのようなものだった、とも読める。

そもそも古ノルド語の「ルーズル」は、粉をひく石臼を載せる木箱――今で言う粉ひき機の受け皿を指す言葉だったと考える研究者が多い。

舟でも、洪水を逃れる道具でもない、ごくありふれた生活道具だ。

ところが13世紀、スノッリ・ストゥルルソンがまとめた『スノッリのエッダ』になると、話はかなり具体的になる。ここではベルゲルミルは明確に成人した巨人として描かれ、妻とともにこの木箱に乗り込み、押し寄せる血の海を渡って生き延びた、と説明される。まるでノアの箱舟のような、はっきりとした脱出劇としてだ。

なぜ、詩の版と散文の版で、これほど印象が変わるのか。研究者の間では、スノッリがキリスト教徒として教育を受けたアイスランドの学者だったことが指摘されている。当時のアイスランドはすでにキリスト教化されており、スノッリ自身、聖書のノアの箱舟の物語をよく知っていたはずだ。古い詩の中のあいまいな一文「ルーズルの上に横たえられた」を書き起こす際、彼の頭の中にあったノアの物語のイメージが、無意識のうちに”脱出用の舟”という解釈を後押しした可能性がある――そう考える研究者は少なくない(John Lindow、Carolyne Larringtonなど)。

ただし、この見方にも反論はある。北欧の伝承には、魔法の石臼「グロッティ」が最終的に海に沈み、海そのものが「島を挽く箱」を意味する言葉で呼ばれる、という別の一節もある。木箱と水がもともと北欧の伝承の中で結びついていた可能性も否定はできない。外から持ち込まれた聖書由来の脚色なのか、それとも北欧の土着の伝承の中に、もともと水と木箱を結びつける発想があったのか――今も決着のついていない議論だ。

たった一単語の解釈をめぐって、千年近く前の学者と、現代の学者が、今なお議論を続けている。番外編1のマヌと魚では、19世紀の翻訳者同士の解釈の違いを取り上げたが、今回はそれよりさらに根が深い。書き手自身の信仰や時代背景が、無意識のうちに神話の書かれ方を変えてしまったかもしれない、という話だからだ。

世界は、殺された巨人の体から作られた

血の大洪水が去ったあと、物語はさらに不思議な方向へ進む。オーディンとヴィリ、ヴェーは、ユミルの亡骸をギンヌンガガプの中心まで引きずっていき、そこから世界そのものを作り上げていく。

肉は大地になった。血と汗は海や湖になった。骨は山に、砕けた骨や歯は岩や砂利になった。髪の毛は木々になり、頭蓋骨は持ち上げられて空になった。その空の四隅は、東西南北を意味する四人の小人――アウストリ、ヴェストリ、ノルズリ、スズリが、それぞれ支えているとされる。脳みそは放り投げられて雲になった。さらに眉毛は、人間が暮らす中つ国「ミズガルズ」を巨人族から守る囲いとして使われた。

つまりこの神話において、大洪水は物語の終わりではない。始まりですらない。世界という舞台そのものが、殺された巨人の血と肉と骨から組み立てられていく、その一場面にすぎないのだ。私たちが今立っている大地も、見上げる空も、この神話の世界観の中では、すべて一人の巨人の亡骸だということになる。

ちなみに、この大洪水を生き延びたベルゲルミルの一族から、のちの霜の巨人たちが再び増えていく。一方、人間はこのあとまったく別の場面で誕生する。三兄弟が海岸で見つけた二本の流木――トネリコとニレの木から、オーディンが息を、ヴィリが知恵と感情を、ヴェーが顔かたちと言葉を与え、最初の人間アスクとエムブラが生まれる。洪水を生き延びた者の子孫が人類の祖先になる、という他の洪水神話ではおなじみの流れが、北欧神話にはそもそも存在しない。人間は、洪水とはまったく無関係な場所で、まったく別の材料から作られている。

もう一つの洪水 ― 世界の終わりにも、海は満ちる

最後に、もう一つだけ付け加えておきたい。北欧神話における”水に飲まれる世界”は、実はこの一度だけではない。

同じ『詩のエッダ』が伝える予言の詩「ヴォルスパー」には、世界の終わり――ラグナロクの光景が描かれている。神々と巨人たちの最終決戦のあと、炎の巨人スルトが世界に火を放ち、九つの世界すべてが焼き尽くされる。そして最後には、大地そのものが海の中に沈んでいく。

ところがこの予言はそこで終わらない。詩の終盤、沈んだはずの大地が、再び緑豊かな姿で海から浮かび上がってくる場面が語られる。生き延びた神々が再会し、リーヴとリーヴスラシルという名の男女が、世界樹ユグドラシルの陰から現れて、新しい人類の祖となる。

北欧神話は、世界の始まりを血の大洪水で、世界の終わりとその先を海に沈む大地と緑の再生で、それぞれ締めくくっている。一つの神話体系の最初と最後の両方に、水に――あるいは血に――飲み込まれる場面が置かれているのは、偶然にしては出来すぎているように思える。

血の海を漂流する小さな木箱と、遠くに横たわる巨人の亡骸のシルエット

むすび

舟に乗って洪水を逃れた男の話でも、神に選ばれた人間の話でもない。北欧神話が伝える最初の大洪水は、殺された一人の巨人の血が、世界という舞台そのものを用意するための一場面だった。そして千年近くのちに、この物語を書き記した学者自身が知っていたはずの、別の洪水物語――ノアの箱舟の記憶が、書き手の筆をどこまで動かしたのか。それは今もはっきりとは分からない。

神話は、語られた出来事そのものだけでなく、それを書き留めた人間の頭の中まで、そっと映し込んでしまうものなのかもしれない。

次回予告

次は、番外編あるいは本編の形で、「書き手の記憶が神話を変えてしまう」というテーマを、別の地域の伝承からもう少し掘り下げてみたい。

出典・参考情報源

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